硬直した人事制度の弊害について(1)
対米戦争(太平洋戦争)の始まりとなった真珠湾攻撃から80年と いうことで、昨年の年末には有名タレントが山本五十六連合艦隊 司令長官を演じるテレビドラマが放送されて、あらためて日本軍の 真珠湾攻撃が注目されました。
山本五十六連合艦隊司令長官は周囲の反対を押し切って真珠湾攻撃 を実行しました。一体なぜ、山本五十六連合艦隊司令長官は周囲の 大反対を押し切ってまで真珠湾攻撃を実行したのでしょうか。
軍事のプロの周囲が大反対するということは、戦争のやり方の常識 から大きく外(はず)れているということです。後年、多くの本で 山本五十六連合艦隊司令長官は名将であったと言われ、一方、一部 の本で愚将であったと書かれています。
「日本国紀 百田尚樹 2018年11月10日第1刷発行 2018 年11月25日 第4刷発行 幻冬舎 」は次のように 事実を淡々と書いて、山本五十六連合艦隊司令長官が周囲の大反対 を押し切ってまで真珠湾を先制攻撃した理由について言及すること はありません。
「昭和十六年(一九四一)十二月八日未明、聯合艦隊の空母から 飛び立った日本海軍の航空隊はハワイの真珠湾に停泊するアメリカ 艦隊を攻撃した。日本軍は戦艦四隻を撃沈し、基地航空部隊をほぼ 全滅させた。」385頁
( 山本五十六は対露戦争(日露戦争)で負傷した )
私が考えるには、山本五十六連合艦隊司令長官が周囲の大反対を 押し切って真珠湾を攻撃した理由は、山本五十六の深層心理にあった 戦場への恐怖です。深層心理の恐怖ですから、山本五十六本人は 自覚していない恐怖です。
山本五十六は若い軍人であったとき、対露戦争(日露戦争)で重傷 を負いました。左腕の負傷は、命を救うために軍医が左腕を切り落 とさなければならないというほどのひどい負傷でした。
しかし、山本五十六は腕が無くては軍人は勤まらないと軍医の話を 断り、何とか左腕をなくさずに回復します。軍人としての気力は大 (たい)したものです。
しかしながら誠に気の毒なことですが、若い時にこのような気の毒 な体験をした 山本五十六には恐怖心が残ったでありましょう。 軍人ですから、そのような恐怖心は勇気を振るって自分で押し殺し た と思うのですが、軍人も人間ですから心の最奥に本人も自覚でき な い戦場への恐怖心が残っていたと考えるのが自然です。
その本人も自覚していない戦場への恐怖心が判断を狂わせ、また、 戦場の最前線に立って戦争を指揮するということを 無意識の内に 避けさせたのでしょう。
私は、大学の一般教養で心理学を習いました。人間の心理は、生ま れつきのものと後年の経験によって形作られている、ということでし た。大学の一般教養ですから基礎的なものだと思うのですが、後年 の経験が人間の心理に影響している、というのは長く生きてきた今 でも確かだと思うのです。
( 東郷平八郎は戦争で負傷したことが無かった )
ここで、思い出すのは対露戦争(日露戦争)時の連合艦隊司令長官 東郷平八郎です。東郷平八郎を連合艦隊司令長官に選んだ人は、 明治天皇に「なぜ東郷平八郎が連合艦隊司令長官か」と聞かれます。
その人は「東郷は 運の強い男です。戦争で負傷したことがありませ ん。」と答えます。対露戦争(日露戦争)時、東郷平八郎を 連合艦隊司令長官に選んだ人ならば、山本五十六の若い時の戦争の 負傷からくる心のダメージを考えて、決して 山本五十六を 連合艦隊司令長官にはしなかったでしょう。
そうすれば、山本五十六は得意であった軍政の分野で大きな仕事を成 し遂げ立派な名誉の軍人で終わったのです。
山本五十六連合艦隊司令長官は、真珠湾に停泊するアメリカ艦隊に 先制の大攻撃をかけてアメリカ軍の戦意をくじき、早期の有利な和睦 に持っていって早く戦争を終わらせようとしたのです。
山本五十六は、自分は戦場に立つことはせずに真珠湾攻撃の戦場の 指揮を 南雲忠一第一航空艦隊司令長官にまかせます。ここで南雲忠一 がアメリカ艦隊に先制の大攻撃をかけてアメリカ軍の戦意をくじき、 早期の有利な和睦に持っていくことができれば山本五十六の上記の 目的は達成されて、山本五十六は戦場に立つことなく戦勝の 連合艦隊司令長官になることができたわけです。
ところが、南雲第一航空艦隊司令長官は真珠湾のアメリカ戦艦を破壊 して満足して しまい、目の前にあるアメリカ海軍の膨大な燃料タンク や戦艦修理のためのドッグを破壊しないと いう誠に残念な中途半端 な戦いをやって帰ってきてしまいました。
(次頁へ続きます)
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