仕事ができるフリをする男の罪悪について(1)
1941年12月8日、日本軍は真珠湾のアメリカ軍を攻撃しました。 今年は80年目になるということで、テレビもニュースなどで大きく 取上げていました。
この真珠湾攻撃については対米戦争(太平洋戦争)の出発点になった ため、その原因、宣戦布告の遅れ、など色々なことが言われています。
原因については、アメリカによる石油の対日全面輸出禁止と言われて います。また、宣戦布告の遅れについては、駐米日本大使館員たちに 開戦前夜の緊張感がなく、宣戦布告文書を指定時間に渡せという指示 の意味を重く受けとめなかった、とも言われています。
ところで、当然のことですが、事(こと)ここに至るまで日本はアメリカと 色々と交渉をしていました。交渉をしていたのは駐米大使野村吉三郎 です。
野村吉三郎は海軍兵学校を優秀な成績で卒業し、武官として オーストリア、ドイツ、アメリカといった海外勤務を長く経験し、 国際会議にも出席しています。
そして、1940年駐米大使となり、対米戦争(太平洋戦争)開戦 まで対米交渉にあたりました。交渉相手はアメリカ国務長官 コーデル・ハルです。
( 駐米大使の英語をアメリカ国務長官は分からなかった )
駐米大使野村吉三郎は、アメリカ国務長官コーデル・ハルと通訳を入れ ずに交渉します。ところが、コーデル・ハルは後年、回顧録でこのよう に書いたのです。
「野村は通訳を入れることを拒否した。しかし、私は、彼の英語が分か らなかった。」(「コーデル・ハル回顧録」)封印の 昭和史 渡部昇一、小室直樹 初版 1995年8月31日 四刷 1995年10月15日 徳間書店 258頁 。
何ということでしょう。驚くべき事です。駐米大使野村吉三郎の英語は、 交渉相手であるアメリカ国務長官コーデル・ハルに通じていなかったの です。
それなのに、野村吉三郎は通訳を入れることを拒否したのです。つまり、 野村吉三郎はアメリカ人に英語が通じるフリをしたのです。これでは、 日本は対米交渉を何もしていないのと同じです。
こんな状況で、日本は300万人という途方もない犠牲者を出す対米戦争 (太平洋戦争)に突っ込んでいったのです。駐米大使野村吉三郎は、フリ をするのが非常にうまい男だったのです。英語ができるフリをするのが 駐米大使野村吉三郎の得意な処世術だったのです。
野村吉三郎のような男を駐米大使に選んだ人間は、何を見ていたのでしょ うか。英語ができるフリをする野村吉三郎は、もちろん悪い男です。とん でもない男です。しかし、一番悪いのは、野村吉三郎が英語ができるフリ をしているということを見抜けずに駐米大使に選んだ人間です。
これでは、駐米日本大使館員たちが開戦前夜の緊張感を持っていなかった のは当然です。駐米大使野村吉三郎はアメリカ国務長官コーデル・ハルを 相手に英語ができるフリをしていただけなのです。
野村吉三郎は「今日の交渉はこういうことであった。」と部下の大使館員 に適当なことを話していたわけです。なにしろ、交渉相手のアメリカ国務 長官コーデル・ハルに英語が通じないのに通訳を拒否して英語ができる フリばかりしているのですからどうしようもありません。
(次頁に続きます)
(追記)
「封印の昭和史 渡部昇一、小室直樹 初版 1995年8月31日 四刷 1995年10月15日 徳間書店」は2020年7月1日復刻版が出版されま した。
新品価格 | ![]() |
中古価格 | ![]() |
新品価格 | ![]() |





