(2016/7/23)

似て非なるもの - baseballと野球 -

私は40代の終わり頃、仕事の研修のためにアメリカのロサンゼルス に1週間行きました。1990年代後半のことです。私は研修に力を入れ ることはもちろんですが、この機会にアメリカというものを自分の目で しっかり見たいと思いました。私にとってアメリカ体験は初めてでした。

私は、その時、研修を終えてから地元の野球場で観戦する機会を得ま した。その日は、トルネード投法の野茂投手が登板したのでした。私は、 登板前の練習場で投球練習する野茂投手をすぐ側で見ることが出来ま した。練習ですから軽く投げていました。

そして、いよいよ野茂投手がマウンドに上がります。野茂投手が マウンドに上がると自然にあの広い球場全体を威圧しました。圧倒的な 存在感でした。そして、野茂投手を中心に他の選手たち、観客たちが 一体となってゲームは進むのでした。球場全体が一体となった明るさと 熱狂でした。

( ロサンゼルスの野球場でアメリカを強く感じる )

 私は1週間の研修旅行でアメリカというものを色々なところで肌身で 感じましたが、それらの中でも、私は、このロサンゼルスの野球場でアメ リカというものを最も強く感じました。選手たちも、大勢の観客たちも 誰もが、baseballが大好きなんだという感覚を全身で持っているのでした。 球場全体に、隅々まで誰もがbaseballが大好きだという熱気が満ちていま した。

私はこの時、アメリカのbaseballと日本の野球が別物であることを認識 しました。

私は以前、日本の後楽園球場でプロ野球の試合を観戦したことがありま した。その時、野球に対する真面目さ、真剣味を感じました。しかし、 後楽園球場での野球の試合にはロサンゼルスの球場で感じたようなものは 何も感じないのでした。

英和辞書ではbaseballは野球と訳されています。しかし、baseballと 野球は別物です。形は同じですが、中身は別物です。

日本の力のあるプロ野球選手がアメリカでプレ−することを希望する 理由が分かりました。彼らは野球ではなく、baseballをしたくなるので す。

( 日本には色々な東西の文化がやってくる )

日本には色々な東西の文化がやってきます。その理由として一つに は日本の地球上における地理的な関係があります。昔は船で海の道を 通ってやって来たわけです。海は交通路として極めて便利です。日本 は海の道を通して世界と繋がっていました。今は飛行機で空の道を 通ってやって来ます。スピードが速くなりましたが、その構造は同じ です。

二つ目には、もちろん長い歴史を持つ日本には独自の文化がありま すが、島国であるため外国の異文化と絶えず接触してさらされるという 厳しい体験が無いため、はるばるやって来た外国の異文化を物珍しさか ら一生懸命に取入れます。

そして、形は同じでも中身は別物になって日本で独自に発展して来た ものがいくつもあります。

元になった外国のものに色々な時に色々な影響を受けながらも独自 に成長して日本の社会に独特の形で定着するわけです。

( baseballはアメリカから来て、野球という別のものになった )

baseballはアメリカから来て、野球という別のものになって、そして、 出発点になったアメリカのbaseballの影響を受けながらも独自に日本で 発展したのです。

私はロサンゼルスの球場でbaseballを見て、日本の野球の不可解な 部分の存在の理由を理解しました。甲子園の高校野球は真夏の炎天下で 高校生が野球の試合をします。運動の環境としては誰が考えても過酷な 環境です。合理的な思考をするアメリカのbaseballでは考えられません。

日本の高校野球には、実施の季節以外にも、投手の連投、不祥事の 連帯責任、などの色々な不合理があります。しかし、その不合理こそが、 選手、大会関係者、観客を引きつけて離さないのです。

運動の環境としては最悪の状況の中で、日本で独自に発展した野球 でしか得られない何かを求めて真夏の炎天下で甲子園の高校野球は 毎年、実施されています。

私は、ロサンゼルスの球場で、野茂投手のトルネード投法を見ながら、 baseballと野球は似て非なるものであることを知ったのでした。


野球ボールの絵

(了)