(2016/7/27)

大相撲を考える

大相撲名古屋場所が終わりました。私は定年退職してからは、よく 大相撲をテレビで見るようになりました。

しかし、今場所は終盤は見る気分が無くなってしまいました。子ども の頃、異文化に生まれ育った横綱 Hが連日、張り手ということで取組み中、何度 も相手力士の顔面を殴ったり、また、カチ上げ、ということで相手力士の 顔面に肘打ちを打撃し、その結果、連日、鼻血の流血が続いたからです。

顔面骨折をした相手力士もいました。相手力士の中には、顔面打撃を怖 がって、土俵上で顔に恐怖の表情を浮かべて両腕で顔面を庇(かば)ったり、 恐怖で腰砕けになって土俵に尻餅をついた力士もいました。

長く生きてきましたが、このような大相撲の状況を見るのは初めてです。 どうして、このようなことになったのだろうか。

この横綱の影響で、平幕の力士の中にも取組み中に張り手ということで 何度も相手力士の顔面を殴る力士が現れました。

( 日本で生まれ発展した競技には美学がある )

日本で生まれ発展した競技には美学があります。勝つことは大事だが、 勝ち方を大切にすることです。

正々堂々と勝つことに価値を見るということです。以前の土俵上には その価値観があったのですが、最近の土俵上にはその価値観が薄くなったの です。

規則に書いていなければ、どのような手段を使っても勝てば良い、という 価値観が濃厚になったのです。この価値観は伝統的な日本人の価値観に反し ています。

張り手ということで取組み中、何度も相手力士の顔面を殴ったり、また、 カチ上げ、ということで相手力士の顔面に肘打ちを打撃するのを大相撲協会が 止めないのはなぜであろうか。

大相撲のプロレス化が進行していると思われるのにです。これは興行収入へ の考慮であると考えられます。プロレス化した大相撲に観客が入るのです。 流血が観客をよんでいます。悪役の存在が人気を盛上げています。

私が子供の頃、プロレスは全盛でした。プロレスには善役と悪役がいて、 悪役が反則の限りをつくして流血し、堪忍袋の緒が切れた善役が流血させられ たレスラーに代わって遂に空手チョップを炸裂させて悪役に勝つのです。

フラストレーションが限界に来ていた観客はスッキリするのでした。大人も 子どもも手に汗握って夢中でした。

しかし、プロレスは人気を失っていきました。善役、悪役の分担、流血、と いったことに人は長く興味を持てないからです。

私は大相撲がこのままではプロレスの道を辿って衰退するのではないかと心配 です。

( 言葉で大相撲の美学を説明できるようにする )

異文化に生まれ育った方(かた)を力士として受入れるならば、言葉で大相撲の 美学を説明できるようにならなければなりません。

土俵の俵で足裏の土を落とすという無作法を批判してもどうなるものではありま せん。大相撲の美学を体で覚えろ、といっても無理です。

俵で区切られることによって土俵の中は,ただの空間ではない神聖な空間になり ます。そのことを言葉で説明しなければなりません。異文化に生まれ育った方は 言葉で説明されなければ、分からないものは分からないのです。

大相撲の美学を言葉にすることは困難なことです。しかし、協会の幹部の方たち にはその困難を乗り越えてもらわなければなりません。

大相撲にひたすら打込んでその道を極めた協会の幹部の方たちにとって、言葉で 説明することは苦手なことかもしれません。その場合は外部の方の協力を得ること も大切です。

大切な日本の文化である大相撲を永遠に後世に伝えるには異文化に生まれ育った 力士の方に大相撲の美学を伝えることのできる言葉を養うことが大切です。

一度失われてしまえば二度と戻らないからです。

(了)