太陽光発電(9)-河野太郎大臣論A-
大学4年になって、5月頃だと思います。大学から工務店の事務所に 電話が来て「君は大学を卒業したら、どうするつもりかね。」と聞かれ ました。「就職するつもりです。」と答えました。すると、大学の人は 「就職活動は、もう終わりかけてるよ。直ぐ大学の就職課に来なさい。」 と言われました。
大学の就職課に行くと、掲示板に求人票を貼ってあるから一つ選びなさい と言われました。私は農家の出身で米作りの手伝いなどをよくしましたの で、何となく食品関連に親しみを感じて大学から推薦状をもらって東京駅 八重洲口の食品企業本社で入社試験を受けました。服装は、高校時代の 学生服です。一張羅(いっちょうら)はそれしかありませんでした。 そして、1次試験は学科試験、2次試験は面接試験を通って採用され、 本社会計課に配属されたのです。
今から振返りますと、東京駅八重洲口に本社がある一部上場企業が私を なぜ採用したのか分かりません。もしかしたら、東京の育ちの良い人ばか りでは金太郎飴のようになって良くない、こういう田舎育ちで新聞屋や 工務店の飯場に住込みながら大学で学んだ人間を入社させれば社内の 刺激になって良いかもしれないと考えたのかもしれません。
河野太郎大臣は神奈川県出身、平塚市立 花水小学校、慶應義塾中等部、 慶應義塾高等学校、慶應義塾大学 経済学部中退、そして米国ジョージ タウン大学を卒業。会社勤務を経て、父親である元自民党総裁河野洋平 の後を継いで政治家、大臣になります。
私などには、想像もできない実に華麗な出身、経歴です。このような人 は、人生があまりにも順調すぎて、どこか人としての感覚がおかしくな るのではないかなと思うのです。
毎月の電気代に 再エネ賦課金(電気税)を上乗せして国民から広く膨大 な金(かね)を集めて、民主党政権が始めた太陽光発電の電気代高価買取 り制度を大きく拡大し、それによって日本国内に大量の中国製太陽光 パネルの需要を生み出す。すると、中国の太陽光パネル企業に大きな恩恵 をもたらすことができる。それによって、河野家の会社 日本端子(株) の中国における一層の事業拡大 の便宜を中国から受けられる。河野太郎 家は大儲けできる。
このためには、阿蘇の外輪山、北海道の湿原を始めとして日本中が中国製 太陽光パネルで埋め尽くされても構わない。メガソーラーのために樹木が 大量に伐採されて土砂崩れが起きても構わない。太陽光パネルの耐用年数 が来て処理に困るであろう大量の太陽光パネル廃棄物が発生しても構わな い、このような発想は常人にはできません。河野太郎は、人生があまりに も順調すぎて、どこか人としての感覚がおかしいと思うのは、この点です。
このような人生があまりにも順調すぎて、どこか人としての感覚がおかし くなっているのではないかなと思う人は、その発想が突飛すぎて、権力を 持つと、後に国民が大被害を受けることをやってしまうのです。
もう既に日本中が中国製太陽光パネルで埋め尽くされています。この後、 なお、再エネ賦課金(電気税)は年々値上げされて集められます。という ことは、これからも太陽光発電の電気代高価買取り制度が拡大し、それに よって日本国内に更に大量の中国製太陽光パネルが敷かれ続けるのです。 暗い絶望を思います。
河野太郎のように、人生があまりにも順調すぎて、そのため、どこか人と しての感覚がおかしくなったのではないかなと思う人として、私は 対米戦争(太平洋戦争)時の山本五十六連合艦隊司令長官を思い出すので す。
山本五十六の父親は武士階級の武士です。そして、明治維新でも特に没落 もしませんでした。この父親の元で山本五十六は生まれ育ちました。学校 勉強が優秀で海軍兵学校に入り、海軍兵学校の成績も優秀で卒業後どんどん 出世して連合艦隊司令長官にまでなるのです。軍人として順調すぎるほど の出世です。
そして、対米戦争(太平洋戦争)になります。山本五十六は参謀など回り の軍人達の反対を一人で押し切って真珠湾奇襲を決行します。山本五十六 の狙いは、アメリカ海軍に最初に大きな打撃を与えて、アメリカ国民の 戦意を挫(くじ)き、日本有利の講和を結ぶというものでした。結果は、 誰でも知っているように、アメリカ国民を団結させ、アメリカ人の戦意を 最高度に燃え上がらせたのでした。
そして、東京を始めとする日本の都市という都市が米軍の空襲で焼き尽く され、原爆を二発落とされ、300万人という途方もない戦死者を出して 惨めな敗戦を迎えたのです。
その間、山本五十六は真珠湾奇襲を部下の南雲に任せて戦場には出ません。 決戦となったミッドウェイ海戦も南雲に任せて空母4隻を沈められて大敗 します。このミッドウェイ海戦でも山本五十六は戦艦大和に乗って、戦場 のずっと後方にいて戦場には出ません。
そして、ミッドウェイ海戦の大敗で負け戦が決まった後、前線視察という 名目で米軍の制空権内を飛び、米軍に打ち落とされて戦死します。
(了)