(2023/10/1)

(甲子園)慶應義塾高校優勝の意義を考える

今夏の高校甲子園野球は、慶應義塾高校が優勝しました。私は 定年退職者でヒマですのでテレビで高校甲子園野球を見ることが できました。そして、慶應義塾高校優勝の意義を考えてみました。

高校甲子園野球の優勝校というと、高校生とはいえ、ほとんど プロのような野球漬けの生活に、監督など指導者による支配、上級生の 暴力といったマイナスの陰惨なイメージがありました。

しかし、テレビを見ていたかぎりでは、慶應義塾高校野球部には、 そのような陰惨な雰囲気は感じられませんでした。

慶應義塾高校野球部監督のモットーは「enjoy baseball」だというの です。なるほど、と私は思いました。私は、英語のsportの意味を調 べたことがあります。

sportという英語を英和辞書で調べると、語源は「仕事を止めて楽し む」 という意味です。baseballをはじめ、アメリカでは sportはまず 第一に「楽しむこと」なのです。

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( アメ リカ人はbaseballを愛する)

私は、会社に勤めていた頃、仕事で1週間ほどアメリカのロサンゼルス に出張したことがあります。1990年代後半のことです。

その時、仕事が終わってからプロ野球を観戦する機会がありました。 アメリカのプロ野球を観戦して感じたのは、アメリカ人のbaseballに 対する愛でした。

私は初めてのアメリカ出張でアメリカというものを色々なところで 肌身 で 感じましたが、それらの中でも、私は、このロサンゼルスの 野球場で、 アメ リカ人は確かに心からbaseballが大好きなんだということを 知った のでした。

しかしながら、sportという英語は、日本に来てスポーツというカタカナ 用語になって別のものになったのです。日本のスポーツは勝負事 (しょうぶごと)です。決してsport(仕事を止めて楽しむ)ではあり ま せん。

( 日本のスポーツは勝負事である )

野球部だけではなく、学校スポーツだというのに1年中休み無く部活練習 が行われ、ケガはもちろん、運動の素人教師が部活顧問になったり、柔道部 に入部したばかりの、まだ受身も取れない中学1年生を思いっきり投げて 死亡事故を起こしたりした柔道部顧問のニュースを目にしたこともあります。

私は、小学校の脇の道を通ってスーパーマーケットに買い物に行きます。 この小学校では日曜日には少年野球の練習が行われています。大人の 監督 やコーチが子供達を怒鳴り、聞くに堪えない罵声を浴びせています。 そこ には野球への愛はありません。

少年野球は大人の子供達への 支配欲満足の手段となっているのです。私は、 監督達の怒鳴り声を我慢 してスーパーマーケットへの道を足早に急ぐのです。

アメリカのsport(仕事を止めて楽しむ)は、日本にきてカタカナの スポーツ(勝負事)になり、大人が子供に対する支配欲の手段にしたり、 新聞社が甲子園高校野球を主催して 営利広告の手段にしたり、あるいは 学校スポーツ大会で優勝して 私立高校の生徒集めの手段にしたりと、 sport(仕事を止めて楽しむ) とは全く別の人間の「欲と金(かね)」に 塗(まみ)れた多彩な目的に使われ るものになったのです。

( 慶應義塾は日本の最初の近代的教育機関である )

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慶應義塾は、福沢諭吉が作った日本で最初の近代的教育機関です。そして、 学問だけではなく東京六大学野球など学校スポーツをリードしてきました。

現在のただの勝負事と化した学校スポーツを福沢が見たら、sportは日本 ではこんなものになり果てたのか、と深刻に憂うでありましょう。

そして、責任も感ずるはずです。なんといっても福沢諭吉は、日本の 近代学校教育の先駆者です。先駆者は責任者でもあります。自分が始めた 日本の近代学校教育の一部である学校sportがただの勝負事となっているの を見て責任を感じないわけがありません。

甲子園野球の慶應義塾高校優勝は、約100年ぶりだというのです。これを 機会に、福沢諭吉の慶應義塾が日本の近代学校教育の一部として取入れたsport (仕事を止めて楽しむ)の原点に帰り、再出発してほしいものです。

そうすれば、私が小学校の脇の道を通ってスーパーマーケットに買い物に行く とき、日曜日の少年野球の練習で大人の 監督やコーチが子供達を怒鳴り、 聞くに堪えない罵声を浴びせているのを我慢 して、スーパーマーケットへの 道を足早に急ぐこともなくなるでしょう。

今夏の慶應義塾高校優勝を機会に高校野球が本来のsport(仕事を止めて楽しむ) に帰ることを期待します。そして、学校スポーツ全体が薄汚いカタカナ用語の スポーツ(勝負事)をやめて英語本来のsport(仕事を止めて楽しむ)に帰る ことを期待するものです。

(了)