「田中耕太郎著 法律哲学論集1」を読む
最近は、人の心を対象とした法律論がテレビで報道されるようになり ました。このようなテレビ報道を聞いていると違和感を感じます。
この違和感は何だろうと考えていると、若い頃に読んだ「田中耕太郎著 法律哲学論集1 岩波書店 昭和十七年十二月十日 第二刷発行」を 思い出したのでした。
この本には「法は社会的、外部的のものであり、人間の内心の事柄は それ自身としてはその範囲外である。ー中略ー それは人間の純内心の 事項には関係なく、人間の社会的、外部的関係に関する。」と書いて あります。(45〜46頁 漢字を現代的表記にしました)
田中耕太郎博士のこのご意見を要約しますと、「法は、人間の内心の 事柄、人間の純内心の事項については範囲外であり関係がない。」と いうことです。
私は、会社員時代、会計を中心とした事務の仕事をしてきました。会社 の事務の仕事には、商法(現 会社法)や税法といった法が深く関係 してくるのでした。
私は経済学部の出身で、法を専門的に習ったことがないため、商法 (現 会社法)や税法の会社内に生起する事例への適用、解釈に悩む ことがありました。私は、この悩みに応えてくれる本を探しました。
( 「田中耕太郎著 法律哲学論集1」に出会う )
そして、ある古書店で「田中耕太郎著 法律哲学論集1」に出会った のです。この本には、「法とは何か」という、そもそも論から始まって 法の世界の全体が論じられていました。
優れた法学者であり、日本が生んだ、世界的法学者、田中耕太郎博士 の本は、法学の専門的事項について私のような法学の素人にも分かる ように書かれているのでした。その力は、他の法学者とは次元を異に していました。
会社で 会計を中心とした実務を担当しておりますと、私法の出発点 になる民法の勉強を する必要を感じてきます。それは、税法や商法の 解説書を読んでいますと「民法の規定を 受けて」という記述に出会う ことがあるからです。
そこで、民法の解説本を買って読みますと、民法の出発点である 民法典作成のことが書いています。 明治時代になってフランスから 法学者ボアソナード博士が日本にやってきて 民法典を作成します。
しかし、民法典論争が起きて、ボアソナード博士 が作成した民法典は 施行されなかったのでした。
( 民法典論争とは何であったか )
ボアソナード博士が作成 した民法典が民法典論争を経て結局施行され なかった理由について、田中耕太郎博士は次のように書きます。
「 〜要するに当時わが国におけるボアッソナードを囲繞する社会の 知識的水準は、 ボアッソナードの深遠なる根本思想と広範なる知識と 教養とに発するところの業績 を理解することから余りにも懸け隔たって いた。彼の業績はきわめて偏狭な見地 からして批評せられ、 思想的訓練を欠きそれ自身の中にはなはだしき矛盾を包蔵 するような 立場からして攻撃せられた。」続世界法の理論(下)田中耕太郎著 昭和47年11月15日 初版第1刷発行 有斐閣 555頁
現今、法律論が人の心の部分に躊躇なく踏み込んでくるのは、日本の 法律家の「知識的水準」が民法典論争の時代から何も 変わっていない からです。田中耕太郎博士が嘆くお声が聞こえて きそうです。
現代日本の法律学自体の「知識的水準」が民法典論争の時代から 変わ っていないのです。実験などで着実に進歩できる理科系の学問 と違い、 文科系の学問の難しいところです。
現代の法学徒は、「田中耕太郎著 法律哲学論集1」を読んで謙虚に 耳を傾け、正しい法律論を心がけて欲しいものです。
(了)