(2023/3/1)

東大法学部の危険性について

対米戦争(太平洋戦争)の本を読んでいると、海軍兵学校や 陸軍士官学校の卒業生である高級軍人達は、なぜこんなにも無能 なのだろうかと思わされます。

私が、対米戦争(太平洋戦争)の結果を分かっているが故の後知恵 なのだろうか、それとも私が軍事の素人だからだろうか、とも考え てみるのですが、どうもそうではありません。

対米戦争(太平洋戦争)開戦前、日本は大きな軍事力を持っていま した。これは国民にとって安心であり幸せなことです。しかし、 当時の海軍兵学校や陸軍士官学校の卒業生である高級軍人達は、国民 にとって安心であり幸せなことである大きな軍事力を持てあました 印象を私は持ってしまうのです。

海軍兵学校や陸軍士官学校の卒業生である高級軍人達の能力(無能) と大きな軍事力がアンバラスなのです。このアンバランスが、あの 対米戦争(太平洋戦争)の惨めな敗戦を招いたのです。

それにしても、私はなぜこれほどまでに対米戦争(太平洋戦争)の 惨めな敗戦が気になるのだろうか、と思います。私が生まれ育った 家は地方の農家なのですが、家の農業を支えていた伯父が対米戦争 (太平洋戦争)末期に招集され、南方の戦線で強力な米軍と戦い 戦死したのでした。

働き手を失った私の家は、たちまち存亡の危機に直面したのです。 戦後生まれの私は、もちろん、招集され戦死した伯父と話したこと はありませんが、遠い南方戦線で米軍と戦って戦死した伯父は、 日本に残した家族にどれほど心を残して戦死していったことでしょう。

私の家は、親族会議を開いて危機を何とか乗り越えたのです。毎年、 夏になると「終戦記念日」と称して政府による儀式が行われます。 あの惨めな「敗戦」の、どこが「終戦」だ、どんな顔をして「記念日」 と言うのだ、と私はテレビのニュースを消すのです。

( 私は敗戦の理由が納得いかなかった )

私は70年以上生きてきましたので、学校の歴史の授業以来、対米戦争 (太平洋戦争)の話を沢山聞いたり読んだりしてきましたが、負けた 理由について一度として納得のいく話を聞くことはありませんでした。

私が、このサイトを自分の会社員時代のことを書こうとして始めたのに、 徐々に社会や歴史や、特に対米戦争(太平洋戦争)のことを書かずに いられなくなったのは、米軍と勇敢に戦って戦死した沢山の兵士の英霊が 書かせているのです。

「百田尚樹 日本国紀2018年11月10日第1刷発行  2018年 11月25日  第4刷発行 幻冬舎 」は言います。「信賞必罰では なく、出世は 陸軍士官学校と海軍兵学校(および陸軍大学校と 海軍大学校)の 卒業年次と成績で決められていたのだ。(中略) この頃の軍人は 戊辰戦争や西南戦争を経験していた日清戦争や日露戦争 の司令官 クラスとはまるで違っていたのだ。」397頁。

( 敗戦の理由は司令官クラスにあった )

日露戦争 の司令官 クラスは、武士社会で教育された士族階級の出身 だったのに対し、対米戦争(太平洋戦争)の司令官クラスは 陸軍士官学校と海軍兵学校の学校テスト秀才達だったのです。

学校テスト秀才達は、 広い太平洋が戦場だというのに、学校で 習った机上の正解の作戦を 繰返して300万人という途方も無い犠牲 を出して完敗し日本を壊滅 させました。

陸軍士官学校と海軍兵学校の出身者にも少数の誠実で有能な軍人が いましたが、周りを沢山の無能な軍人達に囲まれて押さえ込まれて しまい、その優れた能力を発揮できないまま軍艦とともに太平洋に沈ん でしまったり南方の戦場で空しく戦死してしまうのでした。

そうなのです。対米戦争(太平洋戦争)の敗戦の理由は、陸軍士官学校 と海軍兵学校の学校テスト秀才達の無能なのです。

学校テスト秀才、つまり、学校テストで高得点が取れることは戦場での 有能と直接には関係無いのです。

現在、東大法学部卒の財務省官僚が、陸軍士官学校と海軍兵学校の学校 テスト秀才と全く同じ失敗を経済の分野でやっています。彼らには増税 の能力しかありません。彼らは、政治の決算書(国家財政)を読むこと もできず、国民経済の成長を考える力も無いのです。

もちろん、一部の有能で誠実な東大法学部卒の財務省官僚は政治の 決算書(国家財政)を読むこともできて、国民経済の成長を考える力を 持っています。しかし彼らは周りを無能な官僚達に囲まれて、その力を 発揮できません。

( 財務省官僚は敗戦の高級軍人と同じだ )

対米戦争(太平洋戦争)時、陸軍士官学校と海軍兵学校の出身者にも 少数の誠実で有能な軍人がいましたが、周りを沢山の無能な軍人達に囲 まれて押さえ込まれてしまい、その優れた能力を発揮できないまま軍艦 とともに太平洋に沈んでしまったり南方の戦場で空しく戦死してしまっ たのと、全く同じ構造です。対象が軍事か経済か、という違いだけです。

われわれ国民は、現代の科挙である恐ろしいほどの記憶力、暗記力を 必要とする 東大法学部の入学試験を突破した人を、まるで崇拝するよう に崇(あが)め ます。

東大法学部を卒業して、財務省官僚になった人を、さらに国民は 崇 (あが)めます。

彼らの強力な力の源泉は我々国民の崇拝(すうはい)です。現代の科挙 である東大法学部の入学試験突破に対する国民の崇拝は宗教の信仰なの です。

そうなのです。この信仰は明治時代に始まった新興宗教です。そして、 時代が下るとともに、戦後、特に東大法学部信仰という新興宗教の力は 拡大 してきました。

今や、現代日本の最大の新興宗教に成長したのです。いかにも新興宗教 らしくテレビなどのマスコミに、しばしば安田講堂という壮大な神殿が 映されてその異様で見る人を威圧します。

この現代日本最大の新興宗教、東大法学部信仰は我々国民の東大法学部 への崇拝が続く限り永遠に 続きます。

そして、東大法学部卒の財務省官僚は、社会保障費、 東日本大震災、 防衛費など、増税の理由付けができることが起きる都度、 しっかりと 増税して自分たちの勢力拡大(天下り先拡大)をやっていきます。

過酷な増税時代(経済縮小時代) が来たのです。我々国民が 東大法学部信仰という新興宗教から解放されるのが一番良い 解決です。

しかし、昨年の新興宗教問題をテレビで何度も見ましたが、 新興宗教の 信仰から人が解放されるのは実に難しく至難の業(わざ)です。 マインドコントロールが厳しいからです。

いつの日か東大法学部信仰という新興宗教の力が弱くなって、我々国民 が東大法学部信仰というマインドコントロールから解放され、日本が 破滅から免れることを期待するものです。

(了)