羽生結弦選手達に贈られた紫綬褒章について
政府は先月の4月28日、春の褒章受賞者を発表しました。紫綬褒章 (しじゅほうしょう)の受賞者の中には平昌オリンピックで大活躍して メダルに輝いた羽生結弦選手などのスケート選手も含まれていて大きな 話題になりました。毎年、テレビなどで話題になりますが、どういう賞 なのかは私は分かりませんでした。そこで今回、紫綬褒章とはどんな賞 なのか調べてみました。
国のホームページを見てみますと、紫綬褒章とは「科学技術分野におけ る発明・発見や、学術及びスポーツ・芸術文化分野における優れた業績 を挙げた方」が授与対象になる賞ということです。綬(メダルについて いるリボン)の色が紫色なので紫綬褒章です。
確かに、上記の羽生結弦選手などはスポーツにおいて間違いなく優れた 業績を挙げておりますので、授与の対象にふさわしいと思います。 そして、私など庶民は受賞によって国から賞金や年金などがいただける のかなと、つい考えてしまうのですが、そのような経済的なものは全く なく、あくまで名誉をいただける賞ということです。
( 紫綬褒章の決定には二つのルートがある )
受賞者の決定には二つのルートがあります。「通常推薦」と「一般推薦」 です。通常推薦は、次のようなルートです。市町村・団体→都道府県→ 関係府省→候補者を推薦→内閣府賞勲局→閣議→御裁可→発令。この場合、 団体から直接に関係府省というルートもあります。一方、一般推薦は、 推薦者→内閣府賞勲局→調査検討(推薦府省を決定)→関係府省、 (後は通常推薦と同じ)。
最後の「御裁可」というのは、天皇陛下が採決し許可することです。 つまり、いろいろな段階で厳しい審査を受けて、その審査をクリアした 方が天皇陛下から紫綬褒章をいただけるわけです。もちろん、上記の 羽生結弦選手達は、その活躍などから全く問題なく審査をクリア、 紫綬褒章をいただけたと思います。おめでたいことです。
通常推薦は明治時代からありましたが、一般推薦は平成15年になって から新しくできた制度です。一般推薦の候補者は「70歳以上の方で国 または公共に対し功労のある方、または55歳以上の方で、精神的または 肉体的に著しく労苦の多い業務に精励した方、または人目に付きにくい 分野で長年業務に精励した方」です。推薦者1名、賛同者2名が必要です。 推薦者、賛同者は20歳以上で、候補者の二親等内の親族関係にない人 です。二親等とは「本人および配偶者と二世をへだてた関係にある人」 です。こうして推薦された方が審査を受けることになります。
ところで、新聞などには、天皇陛下からいただいたということは特には 書いていないようです。それは常識だから特には書いていないのかもしれ ません。
( 秀吉は後陽成天皇から関白という地位をいただいた )
そういえば、学校で日本史を習ったとき、私はよく分からない事がありま した。例えば、学校の授業で使われた年表を見ますと「1585(天正13) 羽柴秀吉、関白となる(翌年太政大臣となり、豊臣の姓を賜う)」と 書いています。こういう記述が何のことなのか分からないのでした。 そのため、期末試験は赤点をやっと上回る点数でした。赤点というのは 不合格点ということで、これを取ると再試験を受けなければならないのです。
上記の年表の記述を何も省略せずにすべてを記述すると「1585 (天正13)年、羽柴秀吉は後陽成天皇から関白という公家の最高の地位を いただいた。そして、翌年に彼は後陽成天皇から太政大臣という公家の地位 と豊臣という姓をいただいて豊臣秀吉と名乗った。」となるわけです。
ちょうどこの頃、正親町(おおぎまち)天皇から後陽成天皇に代わりま したので、本によって「正親町天皇から」となっていたり、「後陽成天皇から」 となっていたりしますが、それは事の本質ではありません。大事なのは 「天皇から」ということなのです。ここでは、「後陽成天皇から」に統一 します。
もちろん、戦国を勝ち抜いた天下人の秀吉ですから後陽成天皇は「秀吉に 関白はダメ」とは言わないわけです。秀吉は気前の良い人でしたから皇室に たっぷりと貢物もしたでしょうしね。
しかし、関白、太政大臣、という公家としての地位も豊臣という姓も 後陽成天皇からいただいているわけです。誰からもらったんだろう、と いうところがよく分からないので私の日本史の期末試験は惨めなのでした。
しかし、田舎の高校生だった私にも分かるようにすべてを省略せずに 日本史の教科書や年表を記述しますと、「○○天皇から」という記述で 一杯になってしまうかもしれません。やむを得ず、そこは分かっているで しょう、ということで省略されているのでしょう。
日本史の教科書や年表の最初の頁に、この教科書では、あるいは、この年表 では、「○○天皇から」という記述は紙幅(しふく)の関係で基本的には省略 しています、と書いてほしいものです。
そういえば、日本は、いちいち「誰が」と言わなくともお互い分かっている ので源氏物語などの古文では主語が省略されていることが多いといわれます。 その点、英語などの外国語は、そうはいかないので文章には必ず主語をつけ なければなりません。
秀吉は1585(天正13)年、後陽成天皇から関白をいただきました。 そして、現代の2018(平成30)年、羽生選手達は今上天皇から紫綬褒章 をいただきました。その間433年、秀吉も羽生選手も天皇陛下からいただく という構造は何も変わっていないのです。
羽生選手は今回の紫綬褒章受賞について「2度目の受賞ということで光栄。 その名に恥じぬようにさらに努力をしていかなくては、と身が引き締まる思い」 とコメントしています。秀吉は後陽成天皇から関白という公家の地位をいただ いて、どのようなコメントをしたのでしょうか。秀吉はテレビドラマでよく 見ましたが、その時のコメントというのは記憶にありません。でも、秀吉も 何か喜びのコメントをしたことでしょう。
「日本人にとって皇室は神話時代から続くご本家(ほんけ)の中のご本家です。 日本人の家はずーと昔に遡ると、どの家も皇室に繋がるのです」という話を 若かった頃、本で読んだことがあります。なるほどと思わされました。
( 私の家の家紋は源氏車である )
秀吉は後陽成天皇から関白をいただいて、これ以上無く大満足したはずです。 私は地方の貧しい農家の生まれですが、家の家紋は源氏車であり、両親は その家紋をとても大事にしていて、家の正面の玄関の窓にはその家紋が ついていました。仏間の祖父母の遺影の紋付きにも源氏車の家紋がついて いました。源氏は皇室をお守りしていた武家の名門です。
実は私の実家は分家(ぶんけ)です。歩いて10分ぐらいの所にご本家が あります。そして、常にご本家を敬うのでした。私は法事などで故郷に行き ますと、ご本家の方に対する姿勢は今も同じです。
私の家の家紋が源氏車で、その家紋を両親がとても大事にしていたことを 考えると、ズーとどこまでも昔に遡っていくと、もしかしたら、どこかで 目に見えないぐらい微(かす)かにかもしれませんが、皇室に繋がっている のかもしれません。
そう思うと、当然ですが紫綬褒章は無理でも、両親がとても大事にしていた 家紋の源氏車に恥じないように、しっかり生きねばいけないなと思うのです。
(了)