(2021/7/1)

対米戦争(太平洋戦争)に負けた原因を考える(2)

(前頁より続く)

山本連合艦隊司令長官と南雲第一航空艦隊司令長官の組み合わせは 決戦となったミッドウェイ海戦でも決定的な完敗となり日本の敗北を 決定づけます。

このときも周囲の反対を押し切ってミッドウェイ攻撃を主張した 山本連合艦隊司令長官は自分は戦場に立つことはしないで、 南雲第一航空艦隊司令長官に戦場の指揮をまかせます。

そして、ミッドウェイ海戦を任された南雲第一航空艦隊司令長官は、 ミッドウェイ海戦を敵の空母はいないという希望的観測で始めました。 しかし、ミッドウェイの戦場に敵の空母がいたということで、 陸上攻撃用 に準備していた兵装を海上攻撃用の兵装に取り換えて 時間を空費している 間に敵機に攻撃されて空母を次々に沈められて しまうのでした。

敵空母発見の知らせに、南雲第一航空艦隊司令長官は海軍兵学校で 教えられた 通りに陸上攻撃用に準備していた兵装を海上攻撃用の 兵装に取り換えさせ たのです。海軍兵学校の試験では100点です。

南雲第一航空艦隊司令長官は海軍兵学校で成績優秀な優等生でした。 しかし、 場所は海軍兵学校の教室ではなく太平洋の戦場です。兵装 の取り換えを やっている間に、敵空母から飛び立った戦闘機に襲い 掛かられて、 たちまちのうちに三隻の空母を沈められたのでした。

この時、陸上攻撃用の兵装のまま、とにかく早く戦闘機を飛び立た せて 敵空母を攻撃せよと進言した人がいました。空母飛龍の 山口多聞(たもん)第二航空 戦隊司令官です。

しかし、その進言は 南雲第一航空艦隊司令長官によって却下 され、 ミッドウェイ海戦は日本の完敗に終わります。

そして、山本連合艦隊司令長官は日本の敗北が決定的になった後、 戦場の最前線を視察するという理由で敵の制空権の中を飛んで、 打ち落とされて死にます。敵の制空権の中を飛ぶのですから打ち 落とされる危険が高いのを分かっているのに、 山本連合艦隊司令長官の指示で飛んで戦死した兵士は可哀想です。

( 山本連合艦隊司令長官の言動について )

このように、山本連合艦隊司令長官はアメリカと戦うことに反対 していたのに、周囲の大反対を押し切って真珠湾への先制攻撃を かけるというところから始まって、ミッドウェイ攻撃も周囲の大反対 を押し切って完敗し、最後は、わざわざ敵の制空権の中を飛んで 打ち落とされて死ぬという最初から最後まで理解できない矛盾した 言動が続いたのでした。

こうして見てくると対米戦争 (太平洋戦争)の敗北はアメリカに 負けたというよりも、日本は「自滅の敗戦」をしたのです。 「百田尚樹 日本国紀」も「はたして当時の日本陸軍と海軍は、 本気で戦争に勝つ気があったのだろうかとさえ思えてくる。」397頁  と言います。

確かに、歴史の本を読んでいると、百田尚樹が言うように「本気で 戦争に勝つ気があったのだろうか」という読後感を押さえられません。 対米戦争(太平洋戦争)に負けた日を敗戦とは言わずに終戦と言い ます。私は、長い間、これは言葉の言い換え、ごまかしだと思って きました。

しかし、対米戦争(太平洋戦争)の本を読みますと誰でも百田尚樹の ように「はたして当時の日本陸軍と海軍は、本気で戦争に勝つ気が あったのだろうかとさえ思えてくる。」という印象を受けてしまうの です。

つまり、本気で戦って負けたわけではない、本気で戦えば負けな かったんだよ、という印象です。その印象が敗戦と言わずに終戦と言 わせるのです。そして、いつまで経っても日本人があの敗戦(終戦) から精神的心理的に逃れられずにいる理由です。

しかし、戦争です。命がかかっているのですから、軍人は本気で 戦ったのです。問題は「百田尚樹 日本国紀」が言う「信賞必罰では なく、出世は 陸軍士官学校と海軍兵学校(および陸軍大学校と 海軍大学校)の 卒業年次と成績で決められていたのだ。」が本質的な 決定的な誤りだったのです。

このやり方が適材適所の正反対の人事になってしまったのです。この 人事が 「本気で戦争に勝つ気があったのだろうか」という印象を 与えるほどにダメな人事でした。

明治天皇に「なぜ東郷が連合艦隊司令長官か」と聞かれて、「東郷は 運の強い男です。戦争で負傷したことがありません。」と答えた人 ならば、決して 山本を連合艦隊司令長官にはしなかったでしょう。

なぜならば 山本は若かった時、対露戦争(日露戦争)で重傷を負って いるからです。誠に気の毒なことですが、若い時にこのような気の毒 な体験をした 山本には心の傷が残ったでありましょう。

軍人ですから、そのような恐怖心は勇気を振るって自分で押し殺した と思うのですが、軍人も人間ですから心のどこかに本人も自覚できな い戦場への恐怖心が残っていたのでしょう。

その本人も自覚していない戦場への恐怖心が判断を狂わせたので しょう。また、戦場の最前線に立って戦争を指揮するということを 無意識の内に避けさせたのでしょう。

国運を決する大戦争なのに、卒業した学校の 卒業年次と成績で 連合艦隊司令長官を選ぶようなことは決してやってはいけなかったの です。愚かで悪いのは、 海軍兵学校の卒業年次と優等生という理由 で、山本を連合艦隊司令長官に選んだ人たちです。何という愚劣な人 たちだったのでしょう。

( 山口多聞を連合艦隊司令長官に選んでいれば良かった )

山口多聞を連合艦隊司令長官に選んでいれば、「自滅の敗戦」など ありえません。そして、そうすれば山本も得意の軍政の分野で素晴ら しい仕事を成し遂げ、栄光の軍人であったことでしょう。わざわざ 敵の制空権の中を飛んで、打ち落とされて死ぬなどという終り方は 無かったのです。

日本は対米戦争 (太平洋戦争)で、300万人という途方も無い 犠牲を出して自滅の敗北をしました。そして、 山本自身もいやな 終り方でした。

そして、山本に戦場の最前線を任された 南雲第一航空艦隊司令長官 は負け戦を続けながら、海軍兵学校で成績優秀な優等生であったため、 出世だけは順調に出世して最後に自決して死にました。自決といっても 最後は部下に頭を撃たせて死にました。

海軍兵学校の成績優等生ということで、どんどん出世しているとは いっても自分の指揮で負け戦ばかり続いて、兵士をどんどん死なせて いるのですから、いくらエリート意識に凝り固まった南雲でも人間で すから、さすがに最後は自分のあまりの無能に惨めな気持ちになった のでしょう。やはり、南雲もいやな終り方でした。

(次頁へ続く)