対米戦争(太平洋戦争)に負けた原因を考える(1)
暑い夏になりました。夏になりますと対米戦争(太平洋戦争)に負 けた話がマスコミ(テレビ、新聞)に毎年、出始めます。8月15日 の終戦記念日(対米戦争に負けた日)がやって来るからです。
今年は、今のところ、マスコミ(テレビ、新聞)は新型コロナウイルス のためにオリンピック反対キャンペーン一色ですので対米戦争 (太平洋戦争)に負けた話はまだ出てきません。
今年の夏は、こうした意味で例年の夏に比較してマスコミ (テレビ、新聞)的には非常に特殊な夏になります。テレビの ワイドショウを見ていますと、濃淡はありますが、どのマスコミ (テレビ、新聞)もオリンピック反対キャンペーンを展開中です。
しかし、オリンピック開催は7月23日で目の前に来ています。 マスコミ(テレビ、新聞)各社は、オリンピック反対キャンペーンを どこでオリンピック感動!の報道に切り替えるか、考えているところで しょう。
文字報道の新聞は、このような切替え報道を得意としていますが、 画像報道のテレビは、新聞と購読者との距離よりも、視聴者との 距離がグッと近いためこの切替えに多少は苦慮することでしょう。
( 終戦記念日がやって来る )
そして、オリンピックが8月8日に終わりますと、例年通りの 8月15日終戦記念日(対米戦争に負けた日)がやって来ます。私は、 歴史の本を読みながら、日本が対米戦争(太平洋戦争)に負けた 原因を考えることがありました。
ほとんどの場合、日米の国力の差が原因であると説明されるのでした。 しかし、対露戦争(日露戦争)では国力10倍のロシアに勝っている のです。対米戦争(太平洋戦争)に負けた原因が国力の差であると いう説明は到底納得できるものではありません。
「百田尚樹 日本国紀」は言います。「信賞必罰ではなく、出世は 陸軍士官学校と海軍兵学校(および陸軍大学校と海軍大学校)の 卒業年次と成績で決められていたのだ。(中略)この頃の軍人は 戊辰戦争や西南戦争を経験していた日清戦争や日露戦争 の司令官 クラスとはまるで違っていたのだ。」397頁。
対露戦争(日露戦争)の時の指導層は士族階級でした。しかし、 対米戦争 (太平洋戦争)の指導層は、海軍兵学校、陸軍士官学校と いった学校の 卒業生でした。学校制度がすっかり整っていたのです。
海軍兵学校、陸軍士官学校は 超エリート学校です。 エリート軍人養成学校ですから、体力も求められま すが、記憶力を 中心とした学校勉強の競争が苛烈になります。
学校勉強の競争が苛烈になると猛烈な記憶力中心の試験勉強の競争に なり ます。私は、若い時の猛烈な記憶力中心の試験勉強が「危険や 危機を感じ取る人間の自然な能力」を破壊してしまったと考えるの です。
「百田尚樹 日本国紀」もそうですが、対米戦争(太平洋戦争)の ところ を読みますと、日本軍の戦場の指導者達は危険や危機を感じ 取ることが できずに、いたるところでおかしな負け方をしていきます。
海軍兵学校、陸軍士官学校を卒業したエリート軍人がおかしな戦略を 立てる場合、兵士が勇敢に戦えば戦うほど負け方がひどくなるのでした。
( 連合艦隊司令長官の違いについて )
そして、対露戦争(日露戦争)と対米戦争 (太平洋戦争)の決定的な 違いは連合艦隊司令長官です。対露戦争(日露戦争)の時の 連合艦隊司令長官は東郷平八郎でした。
東郷を連合艦隊司令長官に推薦する人に明治天皇は聞きます。 「なぜ東郷か。」推薦した人は答えます。「東郷は運の強い男です。 戦争で負傷したことがありません。」
こうして対露戦争(日露戦争)の連合艦隊司令長官は東郷平八郎に なりました。東郷は期待に応え決戦となった日本海海戦で敵弾が どんどん飛んでくる旗艦三笠の船上に立って戦いを指揮し、ロシア艦隊 に完勝し、対露戦争(日露戦争)における日本の勝利を決定づけたので した。
一方、対米戦争 (太平洋戦争)の連合艦隊司令長官山本五十六に ついては、連合艦隊司令長官に選ばれた理由は海軍兵学校の 卒業年次 と成績以外考えられません。山本は海軍兵学校で学業優秀でありました。
山本は連合艦隊司令長官に選ばれたとき「1年ぐらいは暴れてみせま しょう。しかし、その後のことは分かりません。」と言いました。 そして、アメリカと戦うことに反対していたのに、周囲の大反対を押し 切って真珠湾への先制攻撃をかけます。
そして、自分は戦場に立つことはせずに真珠湾攻撃の戦場の指揮を 南雲忠一第一航空艦隊司令長官にまかせます。南雲第一航空艦隊司令長官 も海軍兵学校の学業優等生でした。
南雲第一航空艦隊司令長官は真珠湾のアメリカ戦艦を破壊して満足して しまい、目の前にあるアメリカ海軍の膨大な燃料タンクを破壊しないと いう中途半端な戦いをやって帰ってきてしまいます。
この真珠湾への先制攻撃は、アメリカに日本との戦争に大義を与え、 アメリカ国民の戦意に火をつけます。
その上、アメリカの日本大使館は、明日は休日ということで全員が 送別会に行って無人のところに日本から宣戦布告の電信が入り、翌日 出勤してきた休日当番の大使館員がドタバタして、真珠湾攻撃の前に アメリカに渡せという指示を守れず、逆に真珠湾攻撃の後に渡したの です。
この宣戦布告通告遅れはアメリカ国民の戦意にガソリンをぶちまける 結果になりました。アメリカの日本大使館には、開戦前夜の緊張感が 全く無かったのです。
更に、この時のアメリカの日本大使館員たちは、自分たちの失敗を 絶対に口外しないという申し合わせをし、秘密にすることに成功し、 戦後は全員大出世することに成功したのでした。
しかし、何といっても真珠湾への先制攻撃が結果的には大失敗でした。 山本はアメリカとの戦争に反対していたのに、連合艦隊司令長官に なった途端に周囲の大反対を押し切ってアメリカに先制攻撃をかけま した。
対露戦争(日露戦争)の連合艦隊司令長官東郷平八郎ならば決して やらないことです。
(次頁へ続く)