厚労省の官僚は、なぜコロナ禍でも歓送迎会の宴会をやるのだろうか?(2)
( 対米戦争(太平洋戦争)に負けた原因は指導層にある )
私は対露戦争(日露戦争)には勝ち、対米戦争(太平洋戦争)に負けた のは指導層の違いだと考えるのです。
百田尚樹 日本国紀も言います。「信賞必罰ではなく、出世は 陸軍士官学校と海軍兵学校(および陸軍大学校と海軍大学校)の 卒業年次と成績で決められていたのだ。(中略)この頃の軍人は 戊辰戦争や西南戦争を経験していた日清戦争や日露戦争 の司令官クラスとはまるで違っていたのだ。」397頁。
対露戦争(日露戦争)の時の指導層は士族階級でした。しかし、対米戦争 (太平洋戦争)の指導層は、海軍士官学校、陸軍士官学校といった学校の 卒業生でした。
学校制度がすっかり整っていたのです。海軍士官学校、陸軍士官学校は 超エリート学校です。エリート軍人養成学校ですから、体力も求められま すが、記憶力を中心とした学校勉強の競争が苛烈になります。
学校勉強の競争が苛烈になると猛烈な記憶力中心の試験勉強の競争になり ます。私は、猛烈な記憶力中心の試験勉強が「本能に基ずく直観」を破壊 してしまったと考えるのです。
そのような人は危険や危機を感じ取ることができなくなってしまうのです。 「百田尚樹 日本国紀」もそうですが、対米戦争(太平洋戦争)のところ を読みますと、日本軍の戦場の指導者達は危険や危機を感じ取ることが できずに、いたるところでおかしな負け方をしていきます。
( 猛烈な記憶力中心の試験勉強は頭脳を壊す )
彼らは「本能に基ずく直観」が全く働かないのです。それはエリート軍人 に限りません。上記の宣戦布告の遅れも学校エリートである大使が猛烈な 記憶力中心の試験勉強によって「本能に基ずく直観」を破壊されていて 、開戦前夜の危険や危機を感じ取ることができずにいたことが原因です。 開戦前夜なのに何の緊張感も持てないのです。
軍の指導層は、決戦となったミッドウェイ海戦で、暗号が解析されている ことが疑われるのに、危険を感じないので暗号を変えることをしません。 そのため、海戦前に暗号を解読されて日本軍の戦略は読まれています。
ミッドウェイ海戦は敵の空母はいないという希望的観測で始まりました。 しかし、ミッドウェイの戦場に敵の空母がいたということで、陸上攻撃用 に準備していた兵装を海上攻撃用の兵装に取り換えて時間を空費している 間に敵機に攻撃されて空母を次々に沈められてしまうのでした。
敵空母発見の知らせに、南雲第一航空艦隊司令長官は海軍兵学校で教えられた 通りに陸上攻撃用に準備していた兵装を海上攻撃用の兵装に取り換えさせ たのです。海軍兵学校の試験では100点です。
南雲第一航空艦隊司令長官は海軍兵学校で成績優秀な優等生でした。しかし、 場所は海軍兵学校の教室ではなく太平洋の戦場です。兵装の取り換えを やっている間に、敵空母から飛び立った戦闘機に襲い掛かられて、 たちまちのうちに三隻の空母を沈められたのでした。
この時、陸上攻撃用の兵装のまま、とにかく早く戦闘機を飛び立たせて 敵空母を攻撃せよと進言した人がいました。空母飛龍の山口多聞第二航空 戦隊司令官です。しかし、その進言は 南雲第一航空艦隊司令長官によって却下 されます。
山口多聞第二航空戦隊司令官は天才です。猛烈な記憶力の試験勉強によって も「本能に基ずく直観」を破壊されていないのです。山口多聞第二航空戦隊 司令官のような天才はいます。しかし、天才は本当にごくごく少数しかいま せん。
周りは皆、 南雲第一航空艦隊司令長官を始め、「本能に基ずく直観」を破壊さ れた人たちです。多勢に一人です。山口多聞第二航空戦隊司令官もどうにも ならず、日本が三隻の空母を沈められた後、一人、空母飛龍で孤軍奮闘の後、 最後には敵の空母と刺し違えるように戦って戦死したのでした。
(次頁へ続く)