日本の経済学と経済学者の特殊性について(2)
(前頁から続く)( 異様な二人の経済学者について )
そして、岩波書店などで社会主義などに関する多くの文筆活動もしたのです。 その多彩な活動は、まことに日本の経済学が生んだ異様な経済学者1号でした。 上記の Tは日本の経済学が生んだ異様な経済学者2号なのです。
大学を本拠にして政府に深く食い込み、色々な政治的活動、利権的活動など の怪しげな活動をするという点が実によく似ています。O(オー)と Tには、 生まれ年に63年の差がありますが、この足取りのよく似た二人の経済学者 の共通点は何でしょうか。
この二人の写真を見ると、顔がよく似ています。二人とも、いかにも人の善さ そうな「童顔のにこにこ顔」なのです。そして、二人の正確な身長は分かりま せんが、他人と並んでいる写真を見ると背の低い人たちです。
この二人が、色々な世界で動き回り、特に政治の世界に食い込んでいく武器は、 この「小柄で童顔のにこにこ顔」なのだなと思われます。「小柄で童顔の にこにこ顔」が、荒々しい権力闘争の政治の世界で生きている政治家の心をしっかりと掴 (つか)むのです。
この二人は、なぜこんなにも、顔、姿形、言動、などが似ているのだろうかと 不思議でした。それは、この二人の出身地を見て分かりました。O(オー)は 、兵庫県三原郡(現 南あわじ市)出身です。つまり淡路島出身です。 Tは、和歌山県和歌山市の出身です。地図で見ますと、この二つの地域は県は 別ですが、波の穏やかな瀬戸内海の狭い海を挟んで向き合っています。
( 2人の経済学者は同郷なのであった )
つまり、同じ生活圏なのです。O(オー)と Tは出身県は別ですが、生活圏が 全く同じ人たちなのです。顔、姿形、言動、などがよく似ていて当然です。
二人は学者を表看板にしていますが、それは世を渡る仮の姿で、その言動から すると、その本質は処世術と商才に恐ろしく長(た)けた政治的商売人です。
O(オー)は、その学者としての高い評判に比較して、学問的業績がほとんど 無いと批判されることがありました。しかし、それは当然のことです。O(オー) にとって学者は世渡りの仮の姿で、中味は上記のように処世術と商才の 政治的商売人なのです。
Tは、研究仲間との共同研究を自分だけの単独研究と偽って発表したという噂が あります。そのようなことをして学者としての良心が痛まないのだろうか、と 思います。痛まないのです。なぜなら、Tも、学者は世渡りの仮の姿で、中味は 処世術と商才の政治的商売人だからです。
私は、商人は社会にとって大切な存在であると思っています。O(オー)と Tは 優れた商才の持ち主です。この二人は、素直に商人になってその商才を発揮して くれたらどんなに良かったでしょう。
( 2人の経済学者は商才を発揮した )
この二人は、学者になって、その商才を政治家に食い込んで発揮するために、 国民は困ってしまうのです。
恐ろしく要領がいいため、学校の成績も良く、大学でも先生の覚えが良いため、 すんなりと大学教授のポストに就いたのでしょう。しかし、本来が学者ではない ので、その天才的な商才を発揮して政治家に食い込んで、政治的活動、 利権的活動などの怪しげな活動をするようになったのです。
O(オー)は、その巧みな弁舌、文章で若い人たちにひどい悪影響を与えました。 その弁舌、文章が、いわゆる親ソ連的反日本的なのです。そして、結果的に 学生たちに幼稚な政治運動を煽ることになりました。
当時は、マルクスの思想によって作られたソ連がまだ健在でした。そして、 O(オー)の頭の中には現実のソ連の姿ではなく、O(オー)が独自に作った 理想の国ソ連があり、その理想国ソ連と比較して日本はダメだと言うのです。
日本人は反省的な国民なので、O(オー)にそう言われると、恐れ入ってしまう のでした。
O(オー)は、1980年、92歳で亡くなりました。学生達を掻き回して 長生きしたのでした。そして、O(オー)が亡くなって11年後の1991年、 現実のソ連は自滅して無くなりました。
もしも、O(オー)が現実のソ連の自滅を見たとしても、溢れるばかりの 商才豊かな頭脳の O(オー)は、上手に理屈づけして自分の頭の中の理想の国 ソ連を守ったことでしょう。
さて、Tです。上記の O(オー)のことを考えますと、現在、激しく動き回って いる Tのことが分かってきます。 Tは、常に「構造改革」を唱えて、政治に 近づき日本を掻き回してきました。小泉政権からずっと歴代の政権に取り憑いて いますので、随分長く取り憑いているわけです。
( 経済学者の「構造改革」とは何か )
そして、 近代経済学者 Tの頭の中には現実のアメリカではなく、理想の国 アメリカが独自に作られています。その Tの頭の中にある理想国アメリカに 比較して日本のここがダメ、そこがダメとなるわけです。
そのため、「日本を変えなくては」、「構造改革だ」となるわけです。Tの頭 の中にある理想国アメリカは、需要と供給の関係だけで価格が自由に動く経済 です。特に労働の価格が自由に動く経済です。当然、正社員というのは認めら れない、労働者は全員、雇用、解雇が自由にできる非正規でなくてはならない、 となるのです。
もちろん、現実のアメリカは、そのようにはなっていません。以前、アメリカ の労働者事情の実状を実際に調べた経営学者の本を読んだことがありますが、 労働者の解雇には制限が厳しくあるのです。
日本の経済学者は、実状を調べないでものをいう傾向があります。日本の 経済学者は、「日本の企業は、終身雇用、年功序列だったが、最近はそうでは なくなった」とよく言います。
しかし、私は約50年前に会社に入り、途中で転職して60歳で定年となりま したが、終身雇用、年功序列という制度はどこにもありませんでした。
最初に入った会社では、時代の流れの中で工場を閉鎖しなければならなく なったときは、会社と労働組合が話し合って、転勤を予想していなかった従業員 をどんどん遠い別の工場に2人、3人、あるいは1人で転勤させるのでした。
すると、半年ぐらいで次々に自己都合退職していくのです。経済の変化に あわせて社員を自己都合退職に追い込んで従業員数を調整する技術は、会社の 中で磨かれたものが蓄積されているのです。
年功序列という制度も見たことがありません。転職した会社では、経済が 大不況になり、会社を縮小しなければならないときは、人事考課を使って どんどん降格人事を乱発するのでした。
人事部の要請に基づいて各部署の管理職は部下に対して低い評価を乱発します。 人事考課は管理職の部下に対する好き嫌いが強く出ますので、年功序列などと いうものが存在できる余地は、現実の企業にはありません。
(次頁へ続く)
