日本の経済学と経済学者の特殊性について(1)
私は、約50年前に大学で経済学を学びました。実社会で生きるに当たって、 経済学の細かな部分は特に役立ちませんでしたが、「需要と供給によって 価格が決まる」という基本的な大原則は経済を見る上で大いに役立ちました。
また、経済学者の主張は、政治や社会に大きな影響を与えますので、そう した意味で、経済学や経済学者に注目してきました。今回は、日本の経済学 と経済学者の特殊性について考えてみました。
現在、この日本では一人の経済学者が激しく動き回っています。この Tという人は、ある時は政治家の指導役になって日本の政治を色々と 動かし、ある時は人材派遣会社の会長をし、そして、いくつもの会社 の社外取締役も兼務して企業経営を色々と動かし、ある時は大学教授 として学生に経済学の講義をします。
さらに、テレビ、新聞のマスコミに出て、トーク番組などで タレントのような活動をして色々な話をします。あまりに多種多様な 活動をしていて、はたしてどれが本当の顔なのかは分かりません。
( 多才な経済学者がいるのだった )
インターネットの情報を読むと、現実の世の中にこのような人がいる だろうか、と思わされます。
Tは名門大学の経済学部を卒業して、政府系の銀行に入行します。その後、 論文を書いて大学助教授に転職し、さらに博士論文を書いて博士号を 取り教授になります。
その間、出世作となる論文には、研究仲間との共同研究を自分だけの 単独研究と偽って発表したという噂があります。
その後、政治の世界に急接近、歴代の政権に深く入り込み、政府の 委員などに次々に就任、遂には民間人のまま大臣になりました。そして、 政府の政策を、自分が会長などをしている会社の有利になるようにして いるわけです。
( 経済学はアダム・スミスから始まった )
Tは経済学者です。経済学は高校の政治経済に出て来ますので誰でも 知っているように、イギリス人アダム・スミスの「国富論」を出発点 にしています。そして、英米を中心に欧米で発展してきました。
経済学は日本にも早くから入って来ました。しかし、日本では、経済学 は欧米とは異なり特殊な形で発展して来ました。ドイツ人マルクスが 書いた「共産党宣言」と「資本論」が異様な形で拡大し、一時は大学で 経済学と言えば、このドイツ人マルクスの唱えた経済学が主流という 世界になったのでした。
T大経済学部の教授の多くがこのマルクスの唱えた経済学を学生に講義 するという状況になったのです。「共産党宣言」は薄い冊子であり、 「資本論」は分厚い本です。しかし、主役は「共産党宣言」であり、 「資本論」は「共産党宣言」に対して科学の装いをするのが役割でした (竹内靖雄著「市場の経済思想」を参照)。
( 日本ではマルクスの経済学が本流になったのだった )
欧米では、マルクスの唱えた経済学はちょっと変な経済学ということで、 経済学の歴史の中で行き止まりの脇道に小さく位置づけられていました。 ところが、日本では本流の経済学に位置づけられたのです。
アダム・スミスではなくマルクスが好まれたのは、アダム・スミスは 実際に工場に行って作業を観察して、有名な分業論を国富論の冒頭に 記述したのに対し、マルクスは図書館で色々と考えた観念的な商品論を 資本論の冒頭に記述したのが大きいです。
日本の経済学者は、アダム・スミスのように実際に工場に行って観察 したり、調査するような面倒なことが嫌いで、マルクスのように研究室で 本を読んで色々と考えるという楽な研究が好きなのです。最近は、実際に 企業に足を運んで観察調査する方法を研究に取入れるアダム・スミスのような 正統な経済学者が日本にも現れてきましたが、まだ、ごく少数です。
遂には、マルクスの唱えた経済学は、「マルクス経済学」とマルクス本人 の名前をとって言われるほどになりました。そして、上記のように T大経済学部の教授の多くがマルクス経済学者という、日本だけの異様な 経済学の世界になったのでした。
そして、マルクス経済学者たちは、自分たちのマルクス経済学以外の経済学 をひとまとめにして「近代経済学」と言って区別したのでした。上記の Tが 卒業した大学の経済学部は、近代経済学の教授が多いのでした。
( 日本の経済学は二つになったのだった )
こうして、日本の経済学は、マルクス経済学と近代経済学の二つの経済学が あるという世界になったのです。経済学の本家の欧米の経済学の世界から 見ると何とも奇妙な日本だけの分家の経済学の世界が作られたのです。
このような事情ですから、日本からノーベル経済学賞が生まれることは ありません。日本の経済学は、ノーベル経済学賞ではなく、上記の Tの ような異様な経済学者を生みだしたのです。
振返ってみますと、日本の経済学が生み出した異様な経済学者は Tが初め てではありません。日本が対米戦争に負けた後、長く力を持った経済学者 O(オー)がいました。
O(オー)はマルクス経済学者でした。O(オー)は T大経済学科を卒業し 大蔵省(現 財務省)に入省します。それから、T大経済学部助教授になり ます。その後、教授になり、同時に日銀顧問、社会保障制度審議会会長など、 政府に食い込んで色々な委員をやります。
そして、大蔵大臣に戦時債務打ち切りを勧めたりします。しかし、政府から 大蔵大臣に就任を要請されると断ります。大蔵大臣に戦時債務打ち切りを 勧めたりするのですから、自分で大蔵大臣になって政府の財政政策をやれば よさそうですが、やりませんでした。
T大を定年になると私大の学長になって君臨しました。この間、O(オー)は 東京都知事選に特定の候補を推薦したり、ソ連、中国に行って両国を誉めたり、 レーニン、スターリンを誉めたり、と得意で好きな政治的な発言を沢山しま した。
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