新型コロナウイルスについて考える(4)
(前頁より続く)日露戦争の時の連合艦隊司令長官は、ロシア海軍との決戦となった日本海海戦において、 旗艦三笠に乗り、敵の砲弾に身をさらし続けて指揮を取りました。そして、勝ちました。
しかし、対米戦争の時の連合艦隊司令長官は、戦場の前線に出て指揮を取るということ を決してしませんでした。そして、自分は戦場に出ないまま、決戦の大きな海戦で日本 が負けた後、部下に命じて軍用機に乗って、敵情視察のためということで敵の制空圏の中を飛び、 当然ですが、打ち落とされて死にました。打ち落とされることが分かっていて、上司の 命令によって敵の制空圏の中を飛んで戦死した人たちのことを思うと本当に可哀想です。
兵士は勇敢で必死に戦いましたが、指導者が無能で不誠実である場合は、兵士が 誠実に勇敢に戦うほど負け方がひどくなるのでした。戦争ではありませんが、私も 会社で経験させられました。上司が無能で自己保身だけの人の場合、部下は追い込まれ て苦しい仕事をしなければならないのでした。まして、戦争では兵士はどれほど辛い でしょう。多くの人が苦しい戦いの中で戦死したのでした。
( 学校秀才による害は、陸軍軍医森鴎外林太郎が始めた )
実は、学校秀才による害は、既に日露戦争の時に発生していました。日露戦争の 時の陸軍軍医森鴎外は本名を森林太郎といい、現在は明治の文豪として知られますが、 本職は T大医学部を出た陸軍軍医だったのです。そして、無能で自己保身だけの どうしようもない学校秀才のハシリでした。
当時、日本軍では兵士の脚気が多発して大問題でした。兵士に対しては白米を食事に支給 しました。今では信じがたいことですが、当時の日本は貧しく、普通の庶民は 白米を食べることはできず、麦、粟(あわ)や稗(ひえ)などを食べていました。 そのため、日本軍では戦意高揚のためということで兵士に白米を食べさせたのです。
おかず、つまり副食物は漬け物など粗末でした。白米と漬け物ではビタミンが取れません。 そのため、兵士はビタミン不足になり、脚気が多発したのです。脚気は、手足がしびれ疲れや すくなり歩行困難、視力低下を起こし、最後には心臓麻痺で死んでしまうのでした。
( 海軍軍医高木兼寛は、脚気の原因を突き止め解決した )
海軍では、軍医の高木兼寛が徹底的な調査によって脚気が食事に関係していることを 突き止め、食事改善によって兵士の脚気を根絶したのだった。しかし、陸軍軍医の森鴎外 林太郎は海軍の脚気根絶を絶対に認めず、兵士に対する食事改善に頑なに抵抗して白米を 与え続けたのでした。
その結果、日露戦争の時の陸軍では多くの脚気患者が発生し、脚気のため死亡した兵士 も多数発生したのです。一方、海軍では脚気患者はほぼゼロでした。海軍の兵士で脚気患者 になったのは、与えられた食事をキチンと食べていなかったごく少数の兵士でした。
海軍軍医の高木兼寛は、イギリスの医学校で医学を学び、兵士の脚気を見て、 原因は食事にあることを見抜き、見事に解決したのです。
一方、陸軍軍医の森鴎外林太郎は、T大医学部を卒業し、ドイツに留学しました。しかし、 学校秀才のエリート意識だけに凝り固まって、兵士の脚気の原因を見抜けず、それどころか、 海軍の脚気根絶を見ても、絶対に認めず、陸軍の兵士に脚気を多発させ続け、脚気 による多くの死亡者まで出したのでした。不誠実で無能な自己保身だけの学校秀才による、 凄まじいまでの弊害の始まりでした。
対米戦争に負けて、海軍兵学校と陸軍士官学校は無くなりました。しかし、T大は残りました。 そして、霞ヶ関の官僚を生みだし続けています。霞ヶ関の官僚は自分たちの天下り先を 作るのに余念がありません。天下り先を作るには金(かね)が必要です。そのため、消費税は 遂に10%になりました。
( 陸軍軍医森鴎外林太郎に連なる者たち )
国民に消費税10%を押しつけるために、霞ヶ関の官僚は、政府の借金を国民の借金と言い換え、 「国民の借金を将来の子供達に残すな」と、事実と異なることを言い続けています。さすがに、 陸軍軍医森鴎外林太郎に連なる者達です。自己保身と無責任の集団です。
何年か前、M文科省事務次官が東京新宿の怪しい店に頻繁に出入りしていることが噂になりました。 その事を問いただされたM文科省事務次官は「貧困女性の実体調査をしている」と言ったのです。 さすがに陸軍軍医森鴎外林太郎に連なる者です。自己保身と無責任の人です。その顔は、これが教育 行政の最高責任者かと思うような、卑しい顔なのでした。あまりに卑しく、正視に耐えない顔 でした。
( 日露戦争の時、新聞の煽り報道が始まった )
また、日露戦争では新聞が煽り報道をやるハシリとなる報道がありました。日本軍は 陸に、海に勝ってロシアに勝利を収めましたが、日本の国力は限界に来ていました。 そのため、講和会議は妥協せざるを得ないこともあり、賠償金は取れませんでした。
この時、A新聞を筆頭に政府を弱腰だと批判する記事で国民を煽り、国民は新聞の 煽り報道によって暴徒と化して、近衛師団の軍が出動して、やっと納めるという大事件が 起きました。
新聞が煽り報道をして、煽られた国民が熱狂しておかしくなるということは、日露戦争の 講和条約の時から始まったのです。この新聞による煽り報道は、対米戦争の時は 一層大きくなり、その害は激しくひどいものになりました。
そして、対米戦争に負けた後、新聞にテレビも加わり、煽り報道は更に大きくなって 今日に及んでいるのです。今や、巨大になったテレビ、新聞の煽り報道に吹かれると、 私を含めて国民は路上の塵(ちり)のように吹き飛ばされてしまうのです。
A新聞は現在も、○百万部という膨大な販売部数を誇り、煽り報道をやっています。 A新聞は何年か前、長く報道した慰安婦報道が誤りでしたと謝罪していました。普通の会社 ですと、このような大きな不祥事を起こしますと、社会から許されずに倒産してしまいます。 しかし、新聞は特殊なようで、A新聞は特にダメージもなく何事も無かったかのように、 今日も発行され続けているのです。
そして、いまやテレビの○○Kと、新聞のA新聞が、まるで車の両輪のように煽り報道 をやるため、煽りの効果が相乗効果によって何倍にもなって国中を吹き荒れて、 荒れ狂うのです。時に止めようとする評論家の方がいたりしますが、その荒れ狂う力は 凄まじいので誰も止めることはできません。
( 巨大なテレビ、新聞の煽り報道への対処法 )
この状況に対して、私の頭に「見て通り過ぎよ」という言葉が浮かびます。私が中学生 だった時、なぜか家に赤い表紙の新約聖書があって、その中にあった言葉です。本らしい本の 無い家でしたので、私はその本の四つの福音書を読んだのでした。
数え切れないほどの引越しを経て、今も私の本棚にその新約聖書はあるのですが、字が とても小さくて老人となった私にはもう読み直すことはできません。テレビの○○Kと、 新聞のA新聞の社会に与える影響は巨大ですので、この二つのマスコミが何をやっている かは、よく見ていなければなりません。この二つの巨大なマスコミが、世の中を大きく 動かしていくからです。これが上記の「見て」の部分です。
そして、この二つの巨大なマスコミが扇り報道をしていると感じたら、何も反応 してはいけないのです。それが上記の「通り過ぎよ」の部分です。私は、何十年も前 の中学生の時の幼い読書体験によって、巨大なマスコミの煽り報道への対処の方法を 教えられたのでした。
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(次頁に続く)
