(2021/1/1)

新型コロナウイルスについて考える(3)

(前頁より続く)

GoToトラベルは外国から新型コロナウイルスを持ち込まれてしまって いる東京などは見直さなければなりませんが、それと同時に、このよう な意識の低い地方の市長さんなどに自覚をしっかりと持たせるように 国や県は指導しなければなりません。地方の市長さんなどの意識は、 人が思う以上に全体にものすごく低いものなのです。

また当面は、外国から人が入ってこないように国は厳しく規制しなければ なりません。そうしなければ、国内が収束に向かっても、外国から新たに 新型コロナウイルスが入ってくるため、いつまで経っても収束という状況 にはならないでしょう。

新型コロナウイルスが収束するように、政治家は外国に対して当面の間、日本 に入って来ないようにキチンと言わなければなりません。どうも日本の政治家 は外国に対して言うべきことを言わない傾向があります。

理由は色々とあるようです。随分前ですが、有名な K 大出身で背は低いけど 歌舞伎役者のような二枚目の顔と言われて、髪をポマードでいつもキッチリ と固めていた H元首相は、自分のゼミの教授を、さほどの業績が無いのに 首相権限で文化勲章者にして批判を受けました。そして外国人の女性との ことでいやな噂がありました。このようなことがあると、確かに外国に ものが言えなくなるだろうなと思います。

どうも K 大出身の政治家は感心しない人が多いです。「剛腕の壊し屋」と 言われる K 大出身の O氏は政党を作っては解散し、作っては解散し、を 繰返していますが、解散の都度、残っている政党助成金を自分のものにしている という噂があります。O氏は常に「国民の生活が第一」と真面目に真剣に言い ますが、実際の行動は「自分の財布が第一」のようです。困ったことです。

このような O氏の言動に愛想を尽くして奥様も去ってしまい、今は世田谷の 豪邸に一人で住んでいるようです。そして、今も時々マスコミに出て来て、 「国民の生活が第一」と力(りき)んで話しています。この O氏を選挙で 国会議員に選んでいるのは東北の I(アイ)県ですが、このような県には 未来はないでしょう。

それから、今回、自民党の総裁選で菅義偉首相に負けた K 大出身の I氏は、 自分ではまともな仕事はしないで、いつも人の後ろから批判ばかりしています。 そして、このI氏も、外国の女性に関していやな噂があるのです。

このような先輩政治家を見ているからでしょうか、K 大の学生は、ワイセツ 事件で時々マスコミに出て来ます。報道を読みますと、K 大の学生が起こす 女子学生相手のワイセツ事件は陰湿で退廃的です。伝統のある名門校に見ら れるという陰湿で退廃的な雰囲気が学内にあるのでしょうか。

K 大は多くの高校生が、憧れて入学を希望する名門大学なのですから、時々、 一万円札の顔にまでなっている、建学の人の精神を思い出して、名門大学の名に 安穏としているように見える最近の学内の風潮を引き締めるようにして欲しい ものです。

( K大出身の人は経済界で活躍して欲しい )

K 大出身の人は、伝統的に経済界で活躍する人が多いのでした。そのためで しょうか、政治家は上記のようによくありません。政治家になると堕落した 政治家になるのです。政治の権力に慣れていないためか、権力を持つと 堕落してしまうようです。ぶざまです。国民はとても困ります。

K 大出身の人は、伝統を大切にして経済界に入って活躍するようにして、不慣 れな政界には入ってこないようにするのが、ご本人のためにも、国民のために もよいと思うのです。

一万円札の顔になっている K 大の建学の人は、もともと 実学ということを唱えて、経済界に優秀な人材を多数送り込んで来ました。 そして、K 大の卒業生は、経済界で大活躍し、日本経済を牽引して来た 優秀なリーダー達でした。経営史の本を読んでみると、日本が今日の経済大国に なったのは、K 大の卒業生たちの活躍によるといってよいほです。

現在、日本経済は10%の消費税に押さえつけられているところに、新型コロナ ウイルスに襲われてしまい瀕死の状況と言っていいと思います。K 大の卒業生は、 今こそ建学の人の教えに従って、不慣れな政界ではなく、積極的に経済界に入って、 苦悩する日本経済を救ってくれることを切に願うものです。

( 日本が初めて経験した国難、元寇について )

新型コロナウイルスは外国からやって来た大変な国難です。国難というと、 日本が初めて経験した国難は、1274年、元寇という大変な国難がありました。 蒙古の大軍が日本海を渡って攻め寄せてきたのです。

この時の戦いを「百田尚樹 日本国紀」(97頁〜)を読んでまとめてみます。

蒙古軍は軍船に四万人の兵士を乗せて九州北部に攻めてきました。 日本軍はこれを迎え撃ち、約二週間の激戦の後、蒙古軍を撃退します。 この戦いを「文永の役」と言います。

そして、この「文永の役」から五年後、蒙古軍は再び攻め寄せてきます。 この時は蒙古軍の兵士の数は約十五万人、前回の「文永の役」の約四倍 の兵力で、前回同様、九州北部を襲います。

これを迎え撃った鎌倉武士団は二ヵ月を超える激戦を戦い、蒙古軍に 上陸を許しませんでした。こうして、上陸できずに軍船に足止めされていた 蒙古軍を大型台風が襲い、蒙古軍はほとんどが軍船もろとも日本海の海に 沈んだのです。この戦いを「弘安の役」と言います。

この二度の戦いに蒙古軍の大軍を送って日本を攻撃させたのは、元帝国の 皇帝フビライ・ハーンでした。そして、この蒙古軍の大軍を迎え撃って 撃破した日本軍の指揮を取ったのは執権北条時宗でした。

( 日本の二度目の国難は日露戦争だった )

日本が二度目に経験した国難は、ロシアとの戦争でした。再び「百田尚樹  日本国紀」(315頁〜)を読んでまとめてみます。

ロシアは、不凍港を求めて南下政策を取り、朝鮮半島に狙いをつけました。 朝鮮半島がロシアの軍事支配下に入れば、日本の安全保障は危機です。日本は いつでもロシアに攻められます。日本は遂にロシアとの戦争を決心し、日露戦争 が開戦します。1904年のことです。

ロシアは大国でした。ロシアの国家歳入約二十億円、対して日本の国家歳入 約二億五千万円、ロシアの常備兵力約三百万人、対して日本の常備兵力約二十万人、 国力には大差がありました。

世界は、日本はロシアに負けると思いました。しかし、日本は大国ロシアを 撃破し、日本を守ったのでした。この時の政治や軍事の指導者は武士階級の 出身でした。彼らは全身全霊でロシアと戦い、この国難を跳ね返したのです。

( 日本の三度目の国難は対米戦争であった )

日本の三度目の国難はアメリカとの戦争です。1941年のことです。ここでも 「百田尚樹 日本国紀」(379頁〜)をメインの参考にします。アメリカは、 日本に対し石油の輸出を禁止しました。日本は他の国から石油を輸入しよう としましたが、他国もアメリカに歩調を合わせて日本への石油の輸出を禁止しました。

もはや日本には石油は入って来ない、となって日本は対米戦争を決心し、遂に 開戦します。そして、四年弱の戦いの後、日本はアメリカに負けたのでした。

この戦争の時の政治や軍事の指導者は、日露戦争の時の武士階級とは異なり、 学校秀才たちでした。学校制度がすっかり整い、T大、海軍兵学校、 陸軍士官学校を卒業した学校秀才たちが、日本の指導者層になっていたのです。

彼らの中には、誠実で優秀な人もいましたが、集団としてはあまりに無能でした。 そして、ひたすらエリート意識に凝り固まって、互いに自分たちの失敗をかばい合う 自己保身の集団でした。そして、何より無責任でした。

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