(2020/12/1)

管義偉新首相の母校法政大学について

このサイトでは、過去に大学を二度、取上げたことがあります。 最初は、内親王のご結婚の話題について、ご本人と相手の母校で あるICU(国際基督教大学)を調べてみました。

2度目は、アメリカンフットボールの危険なラフプレーに関連 して、日本大学を取上げたのでした。

ICU(国際基督教大学)は日本が対米戦争で負けた時、戦勝国米国 の軍隊のトップとして日本に乗り込んできたマッカーサーの強い 影響の下に建学されました。

マッカーサーはICU(国際基督教大学)の建学のために必要な資金 を集めるために、米国で募金活動に一生懸命に尽力したのでした。

しかし、ICU(国際基督教大学)は、建学の恩人であるマッカーサー に対する感謝の記念碑のようなものは何も作っていません。 ICU(国際基督教大学)のホームページでも建学の恩人マッカーサー について全く何も触れてはいません。

日本でICU(国際基督教大学)建学のための寄付を集めてくれた 一万田日銀総裁のことは記念碑を作って、ホームページで感謝しています。 高校生の受験生が誤解しないように、ICU(国際基督教大学)は、 真理を求めて学問をする大学なのですから、米国で建学のための寄付を 一生懸命に集めてくれた建学の恩人マッカーサーのことを、感謝と ともに、ホームページにありのまま書かなければなりません。

日本大学は山田顕義によって建学されました。山田顕義は、 幕末の討幕の戦争に参加し白刃の下で命を懸けて戦い続け、その後、 日本で初め ての司法大臣となって法典整備などに尽力したのでした。

これほどの人物である山田顕義の名は、それほどには知られていま せん。私も、このサイトの記事を書くために調べて初めて知りました。

日本大学は、本校の玄関に山田顕義の大きな像を建てて、建学の人 であり、日本初の法務大臣である山田顕義の名を全国に大きく広めることを、 このサイトで強く勧(すす)めました。

( 私大は深い歴史と個性を持つ )

大学に関する話題と言えば、受験偏差値によるランク付けだけが マスコミによって取上げられがちです。

受験偏差値は大事なことでしょう。しかし、調べてみますと、 特に私大は深い歴史と個性を持っています。

感受性の強い20歳の頃の大学4年間の環境は、人が思っている 以上に、その人の人格、そしてその人の人生に強い影響を与えます。 進学を考える高校生は、受験産業が流す受験偏差値のみに捕らわれる ことなく、自分が進学を考える大学の歴史と個性にも、しっかりと 注目していただきたいものです。

さて、管義偉新首相の母校法政大学が、総理大臣を出すのは初めて であるということで話題になりました。それで、今回は法政大学に ついて調べてみました。

インターネットで調べますと、法政大学は明治13年に在野の 法律家数人によって建学されました。日本を西洋のような法治国家 たらしめるための法律学校として建学されたわけです。当時は後に 大学となる法律学校がいくつか建学されましたが、法政大学もその 一つであったわけです。

法政大学は、建学の初期において、日本の法典作成のためにフランス からやって来て、日本で法典作成に取組んでいたボアソナード博士の 強い影響を受けました。ボアソナード博士は、法政大学の教壇に立って、 日本の学生達に法律学を教えたのでした。

その恩に感謝し、法政大学は高層キャンパスをボアソナードタワーと 名付けて顕彰しています。受けた恩を忘れることなく感謝し顕彰する ことは、人間の持つ最も優れた人格です。受けた恩を忘れないという ことは、そのような個人も組織も繁栄していくのです。

法政大学が総理大臣を出すほどの大学に発展したことに対して、 ボアソナード博士も深く喜んでおられることでしょう。

( ボアソナード博士の民法が施行されなかった理由 )

ボアソナード博士が心血を注いで完成した民法典は施行されることは ありませんでした。そのいきさつは、民法の教科書に民法典論争として 記述されています。しかし、読んでみても、なぜそのようなことが 起きたのかはよく分かりません。民法学者は、この民法典論争という ものにあまり係わりたくはないようです。

しかし、日本が生んだ、ただ一人の世界的法学者田中耕太郎博士は 次のようにキッパリと断言します。「 〜要するに当時わが国における ボアッソナードを囲繞する社会の知識的水準は、 ボアッソナードの 深遠なる根本思想と広範なる知識と教養とに発するところの業績 を 理解することから余りにも懸け隔たっていた。彼の業績はきわめて 偏狭な見地 からして批評せられ、思想的訓練を欠きそれ自身の中に はなはなだしき矛盾を包蔵 するような立場からして攻撃せられた。」 続世界法の理論(下)田中耕太郎著  昭和47年11月15日  初版第1刷発行 有斐閣 555頁。

こうして、ボアソナード博士は失意の内に母国フランスに帰られたの でした。しかし、日本が法治国家となり、そして、ご自分が深く 係わった法政大学が総理大臣を生み出すほどの大学に発展したことを 遠いフランスの地から深く喜んでおられることでしょう。

法政大学もそうですが、上述しましたように明治時代初期に法律学校 が数校できて、その後、大学に発展しました。どの法律学校も日本を 西洋のような法治国家にしようとして努力してきたのでした。

( 日本はより優れた法治国家を目指す )

しかし、日本はまだ法治国家になれていないのだと思い知らされる事件が 昨年起きました。昨年、東京で死傷者多数の悲惨な重大な交通事故が 起きました。この時、テレビ記者、新聞記者たちは、皆で合わせて全員で、 この悲惨な重大事故の加害者を「○○元院長」と定年前の肩書き付で 報道したのです。

通常は「○○容疑者」と報道するのに、この悲惨な重大事故の加害者 だけは「○○元院長」と何度もしつこく定年前の肩書き付で報道したの です。驚くべきことでした。この加害者は定年前の現役時代は、 高い地位の官僚でした。それ故に、この加害者だけを「○○元院長」 と肩書き付で報道したのです。

法治国家においては、人は法の前に平等です。しかし、テレビ記者、 新聞記者たちは、この加害者だけを「○○元院長」と露骨に特別扱い して報道したのです。法の前の平等という概念がどこにも無い、実に 情けない恥知らずの無惨で悲惨な光景でした。

実験を重ねることによって着実に進歩することのできる理科系の学問 とは異なり、文科系の学問は実験によって着実に進歩することはでき ないという困難を抱えています。

文科系の学問である法律学は田中耕太郎博士以来、全く何も進歩して いなかったのです。高学歴で、普段、上から目線の高説を垂れている テレビ記者、新聞記者たちの知的水準は何という情けないことでしょう。 見苦しく、そして無様(ぶざま)です。

明治時代の初期に法律学校として出発した各大学は、上述のテレビ記者、 新聞記者たちの情けない知的水準を脱して、この日本をより優れた 法治国家にするために、現在の大学としての恵まれた環境に安穏(あんのん) として安住することなく、明治の先人の建学の精神を思い出して、 心機一転、一層の努力をして自分たちの役割をしっかりと果たして 欲しいものです。

(了)