憂国の人の会計書を読む(4)
(前頁より続きます)
私が、高校1年で使った「標準 数学T 昭和37年11月15日発行 清水書院」 では、虚数の説明は次の2次方程式で始まります。
axの2乗+bx+c=0 (1)
Xの2乗はXの右上に小さく2が表記されるのですが、うまく書けませんので、 上記のように表記しました。
そして、「そこで、数の範囲をひろげて、この場合にも2次方程式(1)が根を もつようにくふうしよう。そのため、2乗して負の数になるような数を新しく 考えて、このような数を虚数という。」と説明されます。そして、すぐに「問」 が並ぶのです。「次の方程式を解け。」と命令口調で、「xの2乗=−4」の ような「問」が18題も並ぶのです。欧米の数学者たちによって虚数(想像数) が考え出された背景の説明などは何も無いのです。ひたすら「問」を出して「解け」、 と命令するのです。教養を全く感じさせない、粗野の一語です。
そして、「標準 数学T 昭和37年11月15日発行 清水書院」では、「 くふうして、虚数を新しく考えた」と書いていますが、この説明は説得力がありま せん。やはり、「虚数の情緒 吉田武 2000年7月5日 第1版第3刷発行 東海大学出版会」のように、あらゆる2次方程式には解がある、という統一性に 数学者は美を感じ、そのために虚数(想像数)はあるということにした、という 説明が説得力があり、真実でありましょう。「標準 数学T 昭和37年11月 15日発行 清水書院」の著者は、大学教授など3人ですが、この3人も虚数 (想像数)をよく分かっていなかったのでしょう。
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私の数学の教師たちは、「虚数の情緒 吉田武 2000年7月5日 第1版 第3刷発行 東海大学出版会」のような本を読むこともなく、従って、数学の美も 真実も分からず、ひたすら、私が使ったような教科書の「問」を根気強く解き続け 、ときには記憶力の良さを使って、答を丸暗記して数学の教師になったのでしょう。 数学の教師は、例外なく、常に不機嫌でイライラしていた理由が分かる気がします。 数学という学問への愛が持てないまま、生活のために数学教師をしていたのです。 辛い気の毒な職業人生が想像されます。そして、彼らの生徒達は数学教師の イライラを当たり散らされて辛い教室なのでした。
欧米の数学者達は、自分たちの美意識で一生懸命に作り上げた数学が、日本と いう遠い異国の学校の教室で教師も生徒も辛いだけの、まるでテレビのクイズ番組 の拷問版のような、おかしな教科になっているとは夢にも思わないでしょう。
木田元(きだげん)中央大学哲学科教授の話しによると、海軍兵学校では、 勉強が厳しく、特に数学が重視されて、木田教授は、いつも数学の問題解きに 苦労していました。そして、海軍兵学校在学中の成績によって卒業後の所属が 決まるのです。トップは海軍省、次は戦艦、空母となり、ズーと続いて最後は 陸戦隊です。下に行くに従って戦死の確立が高まるのです。そのため、 海軍兵学校の生徒は数学の問題を解くことに必死でした。そして、木田教授は 戦後、意識的に数学から遠ざかるようにしたというのです。分かる気がします。
このような数学教育が中心の海軍兵学校教育では、無能で無教養で粗野な エリート軍人が量産されるはずです。海軍兵学校卒のエリート軍人があれほど 無能なのは、数学の知性が全くない海軍兵学校の問題解き数学が原因だったの です。私が高校で受けた「問」の羅列を、ひたすら「解け」「解け」「解け」 、、、の粗雑な数学教育と同じ教育が、海軍兵学校卒のエリート軍人たちに 深刻な「知性の欠陥」を抱えさせてしまったのです。これでは、太平洋を挟ん での開戦時の軍事力が勝っていてもアメリカ軍には勝てません。そして、無能 なエリート軍人たちのために無惨な敗戦を迎えたにもかかわらず、日本が生き 残ることができたのは、兵士たちが勇敢に全力で戦ったからです。
無惨な敗戦を迎えたにもかかわらず、日本が生き残ることができたのは、 「誰々のおかげだ。」と、特定の政治家や官僚を言う人がいますが、そんな ことは全くありません。兵士たちが勇敢に全力で戦ってくれたからなのです。
(「孫子」が大切である )
「孫子」が頭に入っている軍人ならば、太平洋を遠く渡っての真珠湾への 先制攻撃という、あのような拙(つたな)い戦いを展開するとはとても 思えません。「彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ずあやうし。」と いう孫子の警告そのままでした。
各々の分野の専門の技術、理論は、その分野の本に学ぶとして、 高度利権社会の日本に生きる指導層はもちろん、会社員の心構えの基本のため には「孫子」が必読本です。
昨年でしたか、NHKの大河ドラマで渋沢栄一を取上げていました。渋沢栄一 は生涯、「論語」を強調しました。しかし、私が考えるに渋沢は「論語」 に「孫子」を合わせ読みし、あの怜悧な言動を見ると、むしろ「孫子」に ウェイトをかけて読んでいたと思うのです。しかし、「孫子」は兵法即ち 戦いの本であり、表だっては強調しずらい本なのです。
「論語」「孫子」は過去においては日本人の共通の教養でした。明治時代 になって、それらの教養は薄れていき、しかし、代わりになる教養は育たな かったのです。この教養の欠如がエリート軍人の問題点でした。この教養の 欠如は現代の東大法学部卒のエリート官僚も全く同じです。私が、そう 思うのは次のY財務省事務次官の話を読んだからです
最近、スーパーマーケットで目撃されたY財務省事務次官の話です。 Y事務次官はスーパーで買い物した後、隣のサッカー台で商品を詰めていた人 が 立ち去った瞬間、ガラガラガラと、5回転ほど目の前のロールを回して 無料のポリ袋を 巻き取ると、ササッとリュックサックにしまい込み、足早に 去って 行った、というのです。私もスーパーで買い物をするので分かるの ですが、スーパーの無料のポリ袋をこの事務次官のように持っていく人は、 店にとっては困りものの最底辺の客層です。人間が下品で卑しすぎます。
このY財務省事務次官の卑しさは、東大法学部の教育に「論語」「孫子」 といった教養の要素がゼロだからとしか考えられません。そして、頭の中に あるのは増税だけです。東大法学部卒のY財務省事務次官は、先の大戦時の エリート軍人と全く同じで、無能、無教養、粗野なのです。こんな卑しい人が 財務省事務次官では、国民はどうしようもありません。トップの事務次官が これですから、財務省のエリート官僚の人格のひどさが想像できます。
現在のテスト攻めの学校勉強が異様にできる人は、深刻な「知性の欠陥」を 抱えているとしか考えられません。あるいは、現在の過酷な受験勉強が Y 財務省事務次官のように人格が破壊された人間を生むのかもしれません。 そこには「論語」や「孫子」によって養われる教養の感覚が全く欠如し、 人の目を盗んで、スーパーの無料のポリ袋を何枚も持ち去るという粗野で 下品な人格が蔓延しているのです。このようなエリート官僚たちが、経済に 重大な権力を持っているのですから、日本の現在そして将来に重苦しい暗雲 が立ちこめているのは当然です。
また、現代のエリート官僚は、外国から来る労働者に「技術研修生」という 名前を与えます。しかし、これは、「外国人労働者」であって、実体と全く 合っていません。現代のエリート官僚は言葉の魔術師のようです。 そういえば、大戦のエリート軍人も、自分たちの戦略ミスによる「敗退」を 「転進」と言い換えていました。論語に「子曰く、過ぎたるは、なお、及ば ざるがごとし、と。」という言葉があります。大戦のエリート軍人も、現代 のエリート官僚も言葉の魔術が過ぎます。エリート官僚は法を扱えさえすれば 良いというものではありません。論語をよく読んで反省し、正しい用語を使う ようにしてください。
(「論語」「孫子」を呼び戻す )
「論語」「孫子」は日本人の大切な教養として真剣に呼び戻さなければな りません。政治、経済、軍事、など全ての分野のエリート、リーダーの 必読本です。岩波文庫で容易に入手できます。白文で読む必要はありません。 読下し文で読めば十分です。意味が取れないところは訳文の助けを借りれ ばよいのです。
「論語」「孫子」は特に体系というようなものはありませんので、どこから でもパラパラと頁を繰って読んでもよいのです。もちろん、最初から順に 読んでもよいのです。そして、時々、読み返すのです。この時、注意しておか なければならないことがあります。それは、私は本で読んだのですが、 「論語」「孫子」という古代中国文明を生んだ民族は現代中国人とは関係が 無いということです。「論語」「孫子」を生んだ民族は、長い民族の戦いの 興亡の中で、今は、どこでどうしているのかは分からないというのです。
これは、ソクラテス、プラトンという古代ギリシャ文明を生んだ民族は、 現代ギリシャ人と関係が無いのと同じです。仏教の釈迦を生んだ古代インド文明の 民族が現代インド人と関係が無いのと同じです。古代文明を生んだ 民族は、どの民族も長い民族の戦いの興亡の中で、現在、どうなっているの かは誰にも分からないというのです。そして、ソクラテス、プラトンの哲学書、 釈迦の経典、孔子、孫子の漢学書などが人類共通の資産として大切に受継がれ て現代にいたっているというのです。
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