憂国の人の会計書を読む(3)
(前頁より続きます)
(日本は高度利権社会である )
日本のような高度利権社会に対応できる心の姿勢を養うには、唐突ですが、 古典を読むことです。私は、大学の一般教養で一年間「論語」を読むと いう授業がありました。
そして、社会に出て随分してから「論語」は「孫子」と合わせ読まねば ならない、ということを本で知って、「孫子」を読みました。そこには 有名な「故に曰わく、彼を知りて己を知れば、百戦してあや (かばねへんに台)うからず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。 彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ずあやうし。」という言葉があり ました。
確かに、アメリカを相手の戦争では「彼を知らず己を知らざれば、戦う毎 に必ずあやうし。」を地でいった感じです。アメリカとの戦争の本を読む と、ほとんどの本が「国力の差で負けた」と書いています。
しかし、「国力の差」以前の「戦略の基本が無い」という点で負けていた のです。アメリカとの戦いに負けたのは、エリート軍人が「孫子」を読ま なくなっていたからだ、という話があります。確かに、海軍兵学校卒の エリート軍人にとって「孫子」が共通の知識、教養になっていたならば、 アメリカとの開戦時の太平洋を挟んでの軍事力の差からして決して負ける はずのない戦いだったのです。
私は、木田元(きだげん)中央大学哲学科教授の対談本で、海軍兵学校の 教育の話を読んだことがあります。木田教授は、海軍兵学校に入りました が、在学中に敗戦となり、戦後、東北大学で哲学を学び中央大学哲学科教授 となったのでした。
海軍兵学校では、何かと上級生に殴られたというのです。理由も分からない まま、とにかく上級生は日常的に下級生を殴ってくるというのです。 根性部活(こんじょうぶかつ)です。それから、勉強が厳しく、特に数学が 重視されました。木田教授は、いつも数学の問題解きに苦労していました。
海軍兵学校在学中の成績によって卒業後の所属が決まるのです。トップは 海軍省、次は戦艦、空母となり、ズーと続いて最後は陸戦隊です。下に行く に従って戦死の確立が高まるのです。数学の問題が解けるかどうかで戦死の 確率が変わるのです。木田教授も数学の問題解きに必死になるはずです。
これでは、「論語」「孫子」が入る余地はありません。こうして、あの 無能で、無教養で、粗野なエリート軍人が量産されたのです。これで、 アメリカ軍に勝つのは無理です。
私には、学校数学は違和感のある科目でした。高校時代に使った教科書を見て みます。「数学UB 清水書院 昭和40年2月15日 再版発行」です。 最初は「順列・組合せ」です。わずか5頁の間に「問」が問1から問9まで九つも あります。当然、説明の部分はわずかになります。そして、「〜不等式で表わせ」 とか「〜斜線で示せ」といった命令口調の「問」が続くのでした。
教師もほとんど数学の説明をせず、「お前、黒板に行ってこの問題を解け」と 言うのでした。そして、数学の教師は例外なく、いつも不機嫌でイライラ していました。数学を教える教師に、数学という学問の喜びがどこにも無いの でした。木田教授が受けた海軍兵学校の数学も同じであったでしょう。いや、 もっとひどいものであったかもしれません。
学校数学の「問題を解け」が羅列する、数学とはとても言えない低レベルの 数学教育は、深刻な「知性の欠陥」を抱えた人間を大量に作るのです。数学の 天才ならば、このような数学教育にも深刻な「知性の欠陥」を抱えることは ないと思うのですが、天才は本当に極(ご)く少ししかいません。天才では ない普通の人は、我慢して拷問のような数学の問題解きをやると思うのです。 こうなると、真面目で我慢強い人ほど、より深刻な「知性の欠陥」を抱えて しまうでしょう。
先のアメリカとの戦争で、都市という都市が空襲で焼け野原になり、日本の 負け戦になったとき、ソ連(現 ロシア)は満州国境に戦車を並べ、今にも 満州に攻め込もうとしていました。この状況の中で、政治家や海軍兵学校、 陸軍士官学校卒のエリート軍人たちの中には、アメリカとの仲介をソ連に頼 んではどうだろうか、と議論する人たちがいました。
一体、どうして、ここまでエリート軍人たちは無能になれたのか、私は不思議 でした。この疑問は木田教授に海軍兵学校の教育内容を聞いて分かったのでし た。海軍兵学校の教育内容では、エリート軍人たちが無能で、無教養で、粗野 になるはずです。そこには教養の要素が皆無でした。
そして、日本が原爆を落とされて、もはやどうにもならなくなったところを ソ連は一気に満州に攻め込んできたのです。そして、ソ連軍による虐殺、 強姦、略奪、の地獄でした。さらに、数十万人の兵士がシベリアに連れて行かれ、 ろくに食べ物も無い中での極寒の重労働によって数万人が殺されたのです。
無能で無教養で粗野なエリート軍人を量産した海軍兵学校の教育で重視された 数学や私が高校で受けた「〜不等式で表わせ」とか「〜斜線で示せ」といった 命令口調の「問」の羅列が続く学校数学が真実の数学であるはずがありません。
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私は、ある時、「虚数の情緒 吉田武 2000年7月5日 第1版第3刷発行 東海大学出版会」を買って読んだのでした。その本には、0(ゼロ)を中心に 右方向にプラスの数、左方向にマイナスの数、が並ぶ数直線上に、最初に 1,2,3,、、、−1,−2,−3,、、、と整数が無限に続いていく姿が 書かれます。そして、その数直線上の各々の整数と整数の間に、分数、小数、 無理数、そして、本書の題になっている虚数(きょすう)によって、びっしり と隙間無く埋まっていく姿が書かれているのでした。
そして、虚数の説明がされます。虚数は次の式の設明から始まります。
Xの2乗+1=0
Xの2乗はXの右上に小さく2が表記されるのですが、うまく書けませんので、 上記のように表記しました。両辺から1を引きます。
Xの2乗+1ー1=0−1 Xの2乗=−1
実数の場合、2乗してマイナスになる数は存在しません。しかし、欧米の 数学者たちは、議論を延々と繰返して、「2乗してマイナスになる数は存在 する」としたのです。理由は、彼らの美意識だと、著者 吉田武は言います。 この場合の彼らの美とは、「対称性と統一性」です。Xの2乗+1=0という 式のXに解は無いとするよりも、あるとしたほうが、彼らの美意識「対称性と 統一性」から見て美しいと感ずるというのです。何ということでしょう。 数学に、美意識が言われるのです。
欧米の数学者たちの言う「対称性」の美とは、2次方程式の解に実数と 虚数の二つが存在するということでしょう。実数と虚数という二つの 存在に対象性を見るわけです。そして、「統一性」の美とは、すべての 2次方程式には解がある、ということです。そこに統一性を見るわけです。 なお、2次方程式には、解と根という用語が使われますが、学校数学のレベル では、解と根は同じものと考えて特に問題はないように思われます
草深い地方の農家に生まれ育った私は、欧米の数学者たちの「対称性と統一性」 の美意識と言われても、そのような美意識を感覚的に共有することはできません。 毎日の生活に手一杯の環境で生まれ育った人間には、美意識が育つことは困難です。 しかし、著者 吉田武に、欧米の数学者たちの「対称性と統一性」の美意識を説明 してもらうと「なるほど、そういう理由で虚数が生まれたのか」と納得することが できます。よく、ものを知っている人に、ものごとの背景を説明していただける ことはありがたいことです。
なお、虚数は英語では「imaginary number イマジナリー・ナンバー 」です。 直訳では「想像数」です。数学では、頭文字を取って「i」と表わされます。 虚数は誤訳です。この誤訳のために、数学を学ぶ日本の生徒は、「imaginary number イマジナリー・ナンバー 」を理解するのに無駄なエネルギーを使わ なければならないのです。
あるいは、虚数という誤訳のために「imaginary number イマジナリー・ナンバー 」 を理解できないままで学校を終わるのです。私もそうです。何という罪悪の誤訳 でしょう。imaginary numberを虚数と訳した人は罪悪の人です。論語に「誤ったら、 修正するのに躊躇してはいけない」という言葉がありました。「虚数の情緒」の 著者 吉田武も「想像数」という訳がよいと言います。しかし、あきらめているとも 言います。私が思うに、数学教科書の著者と文科省担当者に良心があるならば、 せめて「虚数(想像数)」という表記にしなければなりません。哲学者カントは、 「空に星があるように、人には良心がある。」と言ったそうです。数学教科書の著者 と文科省担当者に良心があることを期待するものです。
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