(2019/3/1)

東大の会計学テキストを読む E止

(前頁より続きます)

私が現代の会計の勉強をし直して感じたのは混乱でした。そして、この混乱の源(みなもと)は 財務会計の概念フレームワークを座長としてまとめた S教授の会計学、つまり東大の簿記の無い 会計学研究にあったのです。

簿記の無い会計学研究は、哲学を真似た抽象的思考になったり、経済学を真似た数式の利用に なったりするのです。このような東大の会計学研究に、会計の勉強をし直そうとしている私はどの ように対応したら良いのでしょうか。「見て通り過ぎよ」という声が聞こえます。私は、中学生から 高校生になる頃、新約聖書の福音書を読んだことがありました。私の育った家はキリスト教とは何の 関係もなかったのですが、なぜか小型の新約聖書があったのです。その中に「見て通り過ぎよ」と いうキリストの言葉があったのでした。

その赤い表紙の新約聖書は、転勤のための数え切れない引越しにもかかわらず今も私の本棚にあるの ですが、活字がとても小さくて、老人となった私はもはや読むことができません。そのため、どの ような場面でキリストがこの言葉を言ったのかは確認できません。しかし、現在の東大の会計学の テキストを読み終えて、このサイト記事を書いていたとき、ふと「見て通り過ぎよ」という言葉が 頭の中で聞こえたのでした。

( 会計実務にとって、現在の東大の会計学は無関係である )

私はこのキリストの言葉に従い、現在の東大の会計学研究は見て通り過ぎることにしました。それ にしましても、現在の東大生で会計学や会社法を学ぼうとする学生は、田中耕太郎博士の著書を 読んで、日本が生んだただ一人の世界的な法学者がどれほど真剣な覚悟をもって熱心に簿記や会計の 技術を学んだかを知って、尊敬の念を持ってもらいたいものです。そうすれば、簿記を学ばずに S教授の会計学講義を聞くという、とんでもなく無礼なことはできなくなるでしょう。

そして、簿記に関して無知なのに東大で会計学を学んだと称して、その権威によって他大学の 会計教師になり、まだ世の中のことを何も知らない学生にいい加減な講義をして大きな迷惑をかける ようなことは無くなるでしょう。

また、財務省官僚になって政府の貸借対照表を読めないのに、エリートの地位を利用して、 「政府の借入金」を「国の借金」と強引に言い換えて国民を欺(あざむ)き、消費税の税率アップに のみ猪突猛進して日本経済をどん底にたたき落として日本の将来を危うくし、庶民層、貧困層の国民 を徹底的に収奪するというような犯罪的な悪事も、やらなくなることでしょう。

(了)