東大の会計学テキストを読む D
(前頁より続きます)
このような説明から始まって1年間、講義が続くのでした。先生は「このような思考は若い青年時代 にはなじむことができます」と言うのでした。しかし、私はデパートでいくら商品を見つめても、 商品から使用価値を取り除いて、そこに価値を見るという思考になじめませんでした。私は、この ような経済学に強い違和感を持ちましたが、卒業のための必修科目でしたので、一生懸命勉強して 何とか単位だけは取りました。
このドイツ人マルクスの資本論を元にした経済理論はどの大学でも当時は大流行していました。 しかし、今ではすっかり廃(すた)れて、どの大学でも講義の標題を変えたりして、目立たない ように細々と生きているようです。
( S教授の会計慣習に関する認識は誤っている )
S教授が資本財(資本設備)Aの価値というとき、この「価値」という用語は上記のマルクスの言う 「使用価値を除くとそこに価値が現れる」という用語と似ています。S教授はマルクスの価値という 用語を真似てみたのでしょうか。
S教授の会計学は、東大で簿記を学ぼうとしない学生を相手に会計学を教えようとして悪戦苦闘して いる内に、ドイツ人マルクスを真似たような奇妙なものになったのかもしれません。S教授は上記の 本の「おわりに」で次のように書くのです。「人々の行為を累積したコンベンショナルなルールは、 当然ながら人々の行為を通じてかえられていく。歴史を超越した規範性を持つわけではないの である。」187頁
S教授のこの認識は誤りです。なぜなら、会計の出発点になる複式簿記は歴史を超越したものなの です。複式簿記は、約500年前イタリアの商人のところで自然に発生しました。この「自然に発生」 というところが重要です。学者が研究室で考え出したというわけではありません。自然発生であるが 故にその構造は強固です。
そして、会計実務の観点からしますと複式簿記の計算構造を土台として展開していく費用収益対応の 原則などの会計の根本原則、原理などの根幹部分も歴史を超越して会計を貫いています。時代の流れの中で変わっていく のは周辺部分なのです。この点を見誤ってはいけないと思うのです。
S教授の上記の「人々の行為を累積したコンベンショナルな 〜」という認識は、「万物は変わっていく。 不変なものは何も無い。」という、学者の人が研究室で考えた思考に影響されたものでしょう。S教授の若かっ た時代に一般に流行していた思考です。しかし、簿記や会計は、そのような学者が研究室に閉じこもって、頭の 中だけで考えた仮説の世界観や歴史観とは全く何の関係もありません。人間の商業行動から自然に生まれた簿記や 会計の根幹部分は人間社会が続く限り歴史を超越した不変の営みなのです。
ところで、経済学の出発点となったアダム・スミスの国富論を読みますと、冒頭に有名な分業の話が出てきます。 アダム・スミスは経済発展の原動力を分業の発達に見るのです。その叙述を読むと、アダム・スミスは 研究室で考えるだけではなく、明らかに工場の現場を自分の目で見て考えているのです。
( S教授は商業の現場を自分の目で見るのが良い )
S教授も東大の研究室で本を読んで考えているだけでなく、アダム・スミスを見習って商業の現場を 自分の目で見ることをお薦めします。そうすれば、簿記や会計の真実が見えてくるでしょう。そして、 簿記を勉強せずに S教授の会計学講義を聞きに来る無礼な東大の学部生に、「簿記を勉強してから出直 して来なさい。」と叱る気持ちが自然に生まれてくることでしょう。
コンベンショナル(conventional)を英和辞典で調べますと「平凡な、一般に行われている、、、」 などの訳語が載っています。S教授がここでコンベンショナルなルールと言っている用語は会計の 世界で一般によく使われる慣習という意味でしょう。慣習と言わずに、わざわざ英語で表現している のは、「私は日本の会計慣習にとらわれない」という考えでしょうか。
S教授の会計学は企業の会計実務とは基本的には無縁のものなのでした。会計実務を適切に実行する には、複式簿記を土台とした、歴史を超越した会計の原則、原理を把握していなければ不可能です。 S教授の会計学は、その時代時代で、アメリカから風が吹いて来れば西に流され、ヨーロッパから 風が吹いて来れば東に流されるという、まるで空に浮いている雲のように、吹いて来る風に身を ゆだねて漂っているような会計学研究です。
田中耕太郎博士の普遍的な真理を求める法律学研究とは何という違いでしょう。簿記を学ばないで 会計学の講義を聞くという、S教授に対して何とも失礼で無礼な東大学部生を相手に長年講義をして きたために、疲れてしまって、このような漂うような会計学研究になってしまったのでしょうか。 それとも、東大の源流の一つである蕃書調所(ばんしょしらべしょ)の影響が今も東大の会計学研究 に色濃く流れているのでしょうか。
(次頁に続きます)
(了)