(2018/2/10)

財務会計論を学ぶ(10)-企業会計原則-

(前回より続きます)

ヨーロッパの学問の出発点は、キリスト教神学であると言われます。私はキリスト教について は本で読んだ以上のことは分からないのですが、キリスト教神学はキリスト教のドグマ(教義) を人間の理性から弁護するための議論から生まれたということを読んだことがあります。

確かにキリスト教のドグマ(教義)に理性は戸惑います。ほとんどの日本人はキリスト教の ドグマ(教義)に対したとき、知的に困惑してしまうと思うのです。私も困惑し、どう対したら良い のか分からず、ただじっと立ちつくしているしかないのでした。

現代の日本では、キリスト教系の学校はカトリック系もプロテスタント系も非常に繁栄してい ます。上流階級の方々(かたがた)や富裕層の方々は、我れも我れもと、ご自分の子供を渋谷区など にあるキリスト教系の学校に入れようとして非常に熱心なようです。

一部の方は、キリスト教のドグマ(教義)を考え、真剣な思考を経てキリスト教系の学校に関 わっていくと思うのですが、そうではなさそうな多数の方達は、そのことをどうしているのか は私には謎であり分からないことです。

一方、ヨーロッパではキリスト教のドグマ(教義)を人間の理性から弁護するための議論の 過程でヨーロッパの言語自体が緻密な議論ができる言語に鍛えられ磨き上げられたというのです。 もちろん具体的な議論の過程は、私には何も分かりませんので、そういうことなのかと学ぶ以外 にありません。

そして次に、キリスト教神学のゴッド(God)という概念を使わずに宇宙の成立ちを説明しよう として哲学が生まれ、哲学から色々な学問が分かれて生まれたのでした。会計学もそうです。 長い長い時間をかけて、ヨーロッパの会計学が生まれたのでした。

ヨーロッパ人は私たち日本人とは、歴史的に、思考の回路が異なっているのだと考えるしか ありません。そして、アジア人とも私たち日本人 は思考の回路が大きく異なっています。歴史が全くといっていいほど異なるからです。

日本は、江戸時代の300年、世界に対して鎖国をしていましたが、ヨーロッパに対してだけで なく、当然のことですが、アジアの諸国にも鎖国を していました。そのことが、アジア諸国との元々の思考の回路の分岐をより大きくしました。

私は書道をしていたことがありますが、明治維新で日本が開国したとき、日本の書道家は 本場の書道家に直接、接することができるようになったと本当に真剣に狂喜 したのでした。その事は日本書道にとって良い面もありましたが、今に繋がる混乱も生みました。 それは、ヨーロッパ文化に直接に接することができるようになって狂喜した人達がいて、その後、 良い面と同時に今に繋がる深い混乱も生み出したのと全く同じ構造でした。

それにもかかわらず地理的に近く、そして肌の色が似ているため、日本人は、アジア 人が自分たちと同じ思考の回路を持つと誤解し、多くの問題が起きてしまい 今も起き続けています。そして、上流階級、知識層と言われる方(かた)ほどその 誤解は大きいように思われます。

( 思考の回路の違いを認識する )

私たちは思考の回路の違いをしっかりと認識しなければなりません。民族の歴史の違いを深く 考えずに、人間は誰でも同じ思考回路を持つと考えているようでは、会計学も理解できませんし、 書道の真の姿も捉えられないのです。

話は戻りますが、日本は、ヨーロッパの会計学を明治時代に取入れ、明治維新(1868年) から約80年で企業会計原則を作成し、それから約40年で「要説財務会計論 小林秀行著」が 出版されたのです。

その間、約120年、ヨーロッパで会計学が生まれるまでの長い時間を考えると、その消化と 吸収は驚くべき早さと言ってよいと思います。日本人の能力の高さに驚きます。理科系の学問と 違って、実験や数式に頼ることのできない文科系の学問は、言葉、文体だけが頼りという 困難を抱えている事を考えると、一層その感をを強くします。

大学では一応文科系の学問といわれる経済学は、凡庸な経済学者の場合、物理学を 真似た数式だけの世界に逃げ込んだり、宗教を真似たドグマ(教義)のような世界に逃げ込んだ りする方がいます。そして、経済学と称する数式やドグマ(教義)の世界に閉じこもって、世の中のこと など何も知らない若い無知な学生を相手にして平和な日々を送ることができたりするのです。 そのような経済学者もどきの方に出会った経済学部生は不幸です。

しかし、イタリアの商業の世界で自然発生的にできた簿記という帳簿記入の技術に基礎を置き、 そして、いつも企業の会計実務と隣り合わせている会計学には、そのような逃げ道はどこにも ありません。会計学は、どこまでいっても文章で緊密に表現していくしかありません。

こうして、ぎこちない直訳体の文体で表現された企業会計原則の会計学を、いかに解釈するか という多くの議論を経て消化されると同時に、「要説財務会計論 小林秀行著 平成3年5月 20日初版発行 中央経済社」のような会計学を緻密に議論できる日本語の文体が生みだされたの です。この本は日本の財務会計論の一つの完成であると言えます。

ただ、この本に一つだけ気になる点があります。それは「経済的便益」という用語を使っている ことです。「すなわち、資産とは、企業の過去の経済事象の結果として、当該企業により取得 または支配されている、発生の可能性の高い将来の経済的便益である。」8,9頁 と書かれて います。そして、「現代の会計理論においては、資産を経済的便益と捉えることの整合性から、 負債を将来の経済的便益の犠牲と解すべきである。」9頁 

実は、著者は、この著書以前の国家試験演習書においては、「資産とは、特定の企業にあって 将来その発言が期待される経済的効益ないし潜在用役(サービス・ポテンシャルズ)である。」 と定義し、「結局、負債は、法的債務と会計上の純粋な負債項目とによって構成されている 理解に止まっているのが現状である。」と理解していたのです。

小林秀行教授は、国家試験演習書の時点の認識、理解では満足できずに、徹底した一元的な 財務会計論の理解、認識に突き進んだと思うのです。会計学者としては、それで良いのかもし れません。

しかし、現場に身をおいて会計実務を担当した私としては、小林秀行教授の国家試験演習書 の資産、負債の定義、認識にとどまるのが正しい思考、認識と考えるのです。そのため、 「要説財務会計論 小林秀行著 平成3年5月20日初版発行 中央経済社」を読むとき、 私は、「資産、負債」の定義、認識のところだけは、小林教授の国家試験演習書の「資産、 負債」の定義、認識に戻して読むのです。

そのような読み方をして、「要説財務会計論 小林秀行著 平成3年5月20日初版発行  中央経済社」は、私にとって完成された財務会計論 になるのでした。そして、この本は著者の 学問上の考えが強く主張されているため、「財務会計講義 桜井久勝  第12版 」のようには、国家試験受験界のロングセラーにはならなかったのです。しかし、この 事は著者小林秀行教授にとって会計学者としてやむを得ない事であったでしょう。

企業の現場の会計実務は、急流になったり、時に濁流の渦巻くヘドロの川です。会計実務を担当 するということは、その濁流渦巻くヘドロの中に全身を入れて泳ぎ抜かねばならないということ です。河岸から泳ぎ方の評論をしているのとは世界が違います。そのような会計実務の担当者にと って、著者の主張がはっきりしている「要説財務会計論 小林秀行著 平成3年5月20日初版発行  中央経済社」は、ありがたい本なのでした。

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(了)