新入社員は心を鍛える(2止)
(前頁より続きます)( 若い青年にはエピクテトス「提要」が向いている )
そして、ヒルティは、エピクテトスの「提要」とマルクス・アウレリウスの 「自省録」を比較して、若い青年に対しては、エピクテトスの「提要」を 薦めます。
その理由は、エピクテトスの「提要」は上記のように、体系的、簡潔、 実践的であり、従って、若い青年が心を鍛えて優れた人格を養うためのテキストと して、とても向いているというのです。
これに対し、マルクス・アウレリウスの「自省録」は、本来は読書と思索 の静かな生活を好んだマルクス・アウレリウスが運命によってローマ帝国の 皇帝となって、戦いの多い忙しい仕事の合間に書いた断片録です。
読みますと、その深い思索に極めて強い感銘を与えられる本ですが、何と いってもローマ皇帝の多忙な日々の仕事の合間に書かれた マルクス・アウレリウス本人の自戒のためのものであり、体系性を欠いて いるため、若い青年がその心を鍛えるのに向いている本というわけには いかないのです。
( 会社員はどのコースを進んでも厳しい局面に出会うことがある )
学校を終えて、企業に入り会社員として働き始めた人には将来に向かって いくつかのコースがあると思います。1.定年までその会社で働き続ける、 2. 途中で他の会社に転職する、3. 会社を退職して起業する、などが考え られます。
どのコースを進むにしても厳しい局面に出会うことがあると思います。また、 定年までその会社で働き続けようと考えていても、経済の変化の中で会社の 経営が傾いたり、あるいは業務の効率化によって自主退職に追い込まれる こともあります。
厳しい局面に追い詰められても、心を乱さずに、その苦しい局面を冷静に 打開していける心の強さを若い青年時代に養っていたいものです。
ストア哲学は、若い青年の心を鍛えて、強い優れた人格を作り上げるの に多くの実例、実績があります。何といっても、良き時代の西洋の古典教育の テキストです。私はそのような人格になれたという自信はとても持てませんが、 それでも、会社生活の苦しい局面を乗り切るのに、エピクテトスの「提要」 から教わったストア哲学に随分と助けられたのでした。
心を鍛える、ということは、現代日本の学校教育には全く完全に抜け落ちて いる部分です。そのため、会社員は若い青年時代にエピクテトスの「提要」 によって、自分で、そして自力で心を鍛えて、会社生活で出会う色々な苦難を 冷静に乗り越えていくことのできる強くて優れた人格を作り上げていたいもの です。
(了)[追記]
エピクテトス「提要」は、一度読んだら終りにするのではなく、私は 会社生活で苦しいとき繰返し読みました。そうすると、エピクテトス 「提要」の言葉が身に着いてくるのでした。
実は、私はあと3年で定年というところで、年齢が一回り下の人が上司 になりました。1年経ったところで、人事考課が出てきました。人事考課 は「C」でした。人事考課「C」は、不幸なことに病気などで1年間まとも に仕事ができなかった人に出る最悪の評価でした。
人事考課表には、その年齢が一回り下の上司のコメントが書かれていまし た。そのコメントは、「スピード感、積極性に弱さを感じる。事象に対 しても他人事としてとら える面が多く、自分事として自身で取り組み 解決していく姿勢を是非、 来期は出してほしい。」というものでした。
この頃、会社を取巻く環境は不況などの影響で厳しさを増していて、その 厳しさを乗り越えるための新しい業務が増えていました。私は、それまで に培(つちか)った知識と経験をフルに使って押寄せてくる新業務に取組 んでいました。
上記の上司のコメントは、あまりにも現状と遊離していてピンとこないの でした。その上司はとにかく理屈抜きで人間として私のことが嫌いだった のでしょう。心が折れそうになる人事考課でした。その時、エピクテトス 「提要」の言葉が聞こえました。「上司の思いは、あなたの力の範囲外の ことなのだよ。あなたは、あなたの力の範囲の内のことをやりなさい。」
私は正気になり、心の静けさを取り戻しました。私は、人事考課「C」の 理由だけは聞いておかなければいけないと思い、人事考課の最終責任者で ある取締役のところに行き、「私は、なぜ人事考課「C」でしょうか。」と 聞きました。
その取締役は、「私が「C」にしたわけじゃない。私は、あなたは B’ (ビーダッシュ)だと思う。」と言いました。私は、その取締役 の返事を聞いて何も言わず、一礼して下がりました。B’(ビーダッシュ) も良くない評価ですが、やむを得ません。
このように会社の人事考課は上司の好き嫌いが大きく影響します。その ような人事考課を一つ一つ気にしていたら会社の仕事はできません。仕事 は厳しいものなのです。
私が、人事考課「C」に心が折れきっていたら、仕事を続けられなくなり、 会社を辞めざるを得なかったでしょう。そうなれば、定年前に急に無収入 になり退職金も大きく減って、今こうして窓の外の美しい新緑を見なが ら、この文を書いていることもできなかったでしょう。
心が折れきってしまうこともなく、押寄せてくる新業務に取組みながら、 定年まで働くことができたのは、間違いなく、エピクテトス「提要」の おかげなのでした。


