(2017/9/1)

荒れ果てていたキャンパスについて考える

私は地方から上京して働きながら、ある学校に入学しました。 1960年代後半のことです。その頃、私が入学した学校には学生が 構成する自治会という組織がありました。

入学試験に合格した受験生が学校に入学するためには4年分の自治 会費をまとめて入学金と一緒に学校に納めなければならないのでした。

その頃は、自治会に代わって、学校が自治会費を代理徴収していたの です。そして、学校は代理徴収した自治会費を自治会に渡していたわけ です。

実は学校に行っていた時は、私はこのような自治会費の代理徴収と いう制度をよくは知らなかったのです。

その頃、キャンパスは荒れ果てていました。草深い地方から上京した私 は荒れ果てた学校のキャンパスを見て、なぜこんなに荒れ果てている のか、分かりませんでした。

一部の学生はグループになってキャンパスの中で暴(あば)れ回るので した。そのため、しばしば学校は休校になりました。他の学校の学生 もやって来て暴れて学校の施設を壊したりしているのです。

( 関西の名門大学の学生もやって来て暴れるのだった )

ある時、創立者が教科書に出てくる関西の有名な名門大学 D大学の 1人の学生が5〜6人の学生に囲まれて「なぜ関係の無い大学に来て 暴れているのか。」と詰問(きつもん)されているのを目撃したことが ありました。

その大人(おとな)しそうな D大学の学生は下を向いてじっとしていま した。D大学の学生を囲んで詰問している学生達は暴れたりしない普通 の学生達でした。

なぜ関西の名門の誇り高いであろう D大学の学生が遠い東京の自分とは 何の関係も無い学校に旅費をかけてわざわざやって来て暴れているのか、 貧しかった私には不思議でした。

親からのお小遣いがタップリあって、ヒマで時間を持てあまし、興味 本位に東京の学校にやって来て暴れていたのでしょうか。先生達はこの ように学生が暴れて休校の続く状況をいいことにして、何もしないで 学校の仕事を休んでばかりで家でのんびりとしているのだろう、と私 は考えていました。

私は学校の、このような状況に精神的に疲れて、卒業はしたけど、 卒業式には行かず、もちろん卒業証書を受け取ることもなく、悪夢を 見ていた思いがして、荒涼として荒れ果てたところから逃げるように 学校を後(あと)にして会社に就職したのでした。

就職した会社では仕事は厳しいけれども、当然ですが暴れる人もいなく て静かでした。ホッとしました。しかし、実は先生の中には、自校の 学生や勝手に入り込んで来る他校の学生がキャンパスで暴れている中で 苦悩して、何とかしなくてはと行動されている先生がおられたのでした。

私は最近インターネットを見ていて偶然、私が学校へ行っていた頃、 学部長を務めておられた O(オー)先生の回顧録の文を読んだのです。 O(オー)先生は学生が暴れて荒れ果てたキャンパスを何とかしようと 苦しみ、行動し、そのため、脅(おど)され、殴られてケガをし、 悩んで病気になられて任期途中で学部長を辞めざるを得なかったこと を知ったのです。

( 学生自治会という制度はアメリカからやって来た )

私は O(オー)先生の回顧録を読んで、その当時なぜ学生が暴れて キャンパスが荒れ果てていたのか分かりました。O(オー)先生は、 回顧録で次のように言うのです。

「学生自治会は、多くの私大で全員加盟制になっている。これは 学生自治も重要な教育の一環というアメリカ流の考え方の輸入である。」

確かにインターネットで調べてみると、学生自治会は日本がアメリカ との戦争に負けて、GHQが学校に自治会を作るように奨励したことが 始まりなのでした。

O(オー)先生は穏やかに「輸入」と言いますが、日本中が焼け野原に なって戦争に負けた状況の中では、GHQの奨励は強制と同じことであった でしょう。

日本には昔から海や空を通って外国から応接に暇(いとま)が無いほど 色々な制度がやって来ますが、学生自治会はアメリカとの戦争に完全 に負けた状況の中でアメリカからやってきたのです。

そして O(オー)先生は回顧録の中で続けます。「学生は入学と同時 にー(中略)ー入学金や授業料と一緒に自治会費を納入させられる。大学が 代わって徴収する“代理徴収制度”である。ー(中略)ーそして自治会費は 例えば1人2,500円としても、4,000人の学生で1,000万円、 4学部だと数千万円という金になる。マンモス私大の自治会がさまざまな セクトの争奪戦の対象になるのは、何といってもこの軍資金の魅力が大 きい。」

私が上京した頃は大学への入学者が増えていました。当然、自治会費の 合計額も増えていきます。元のアメリカの学生自治会はどのようなもの なのか分かりませんが、アメリカから日本にやって来た学生自治会制度は このようなものになったのでした。

( 学部長の O(オー)先生は苦闘されておられたのだった )

そして、O(オー)先生は学部長になった年、自治会の自治委員選挙の 正しい手続きが取られたのか確認できないということで、その年度の 自治会費は凍結ということにしたというのです。

その結果、学生から「命が惜しければ」とか「月夜だけじゃない」とか 「何をするか分からない」と言われたというのです。O(オー)先生は、 「なにしろ実績があるからこわい」と感じながら学部長の仕事を遂行 していたのでした。

そして、学生に殴られて4針も縫うようなケガをさせられたり、学生 との交渉のストレスからご病気になり、学部長の仕事ができなくなり、 1年で学部長を辞めざるを得なくなったというのです。

その頃は、多くの大学で学生同士の争いがあり社会問題化していました。 そして、O(オー)先生は「学生同士の争いのため死傷者が発生して いた。」というのです。これでは、O(オー)先生の「こわい」という 思いは当然でした。

私が学校へ行っていた頃、キャンパスが荒涼と荒れ果てていた理由が、 O(オー)先生の回顧録を読んでよく分かりました。そして、すべての 先生が、学生が暴れて休校の続く状況を良いことにして何もしないで 学校の仕事を休んでばかりで家でのんびりとしている、と思っていた 私の認識は誤りであり、O(オー)先生のように、学生に殴られてケガ をさせられたり、ストレスで病気になったり、危険を感じつつ、 何とかしなければと奮闘されておられた先生がいたのでした。

すべての先生がのんびりしていると思ったのは私の思い違いでした。 O(オー)先生のことをよく知りませんでした。誠に申し訳ございません。

今は多くの大学で自治会費の代理徴収制度は無くなったという報道を 読んだことがあります。アメリカとの戦争で負けた混乱の時代に日本 に持ち込まれたものが1つ無くなったわけです。

O(オー)先生は既にお亡くなりになったということです。アメリカ との戦争に負けた大混乱の中で、GHQによって深い考えも無く日本に 持ち込まれた学生自治会によって苦しめられた O(オー)先生の ご苦労を思い、謹(つつし)んで O(オー)先生のご冥福をお祈り申 し上げます。

(了)