(2022/9/1)

隣国(中国)の歴史を学ぶ(1)

私は学校で世界史を学びました。世界史は複雑で、よく分からない 科目でした。大人になって、高校世界史の教科書を読んでみると、 世界の歴史を書こうとすると、あのようにしか書きようがないのか な、とも思います。

世界史は、ヨーロッパ史と中国史の2つが中心です。ヨーロッパ史の 場合は、白人の側から見た歴史になります。善し悪しはありますが、 一方的な見方による歴史になります。「○○年、白人がアメリカ大陸 を発見した。」となるわけです。

公平に書こうとすると「○○年、白人がアメリカ大陸を発見した。 インディアンは白人に攻め込まれた。」となるわけですが、見方を あっちへやったり、こっちへやったりになって、高校生は一層混乱 することになるかもしれません。

また、ヨーロッパ史はキリスト教の教会史が中心になるわけですが、 プロテスタントの側から見た一方的なものになります。そのため、 安易に「カトリックの中世は暗黒であった」となってしまいます。

日本人にとってキリスト教自体が難しいものであり、カトリックと プロテスタントの関係は一層難しくなります。ルターの宗教改革 (キリスト教分裂)に始まったカトリックとプロテスタントの戦い によってドイツなどは人口が半分になったと言われます。

現在の日本でしたら、1億2千万の人口が6千万になってしまう 勘定です。日本人からすると宗教の争いで何でそこまでやるかと 思ってしまいます。それでも、ヨーロッパ史はなんとか親しめます。

( 中国史は、何が何だか分からなかった )

これが、中国史となると高校世界史の教科書を読んでも、複雑以前 の何が何だか分からない歴史です。

しかし、この夏、中国史がよく分かる本が出版されました。「禁断 の中国史 百田尚樹 2022年7月10日 第1刷発行  飛鳥新社」です。

禁断の中国史

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著者百田尚樹は書きます。「実は歴史上、「中国」という国はあり ません。そんな国が存在した歴史はどこにもありません。私たちに なじみの深い「秦(しん)」「漢」「唐」「元」「明」「清」は いずれも違う国です。ー(中略)ー私たちが「中国史」と思って いるのは、ひとつの国家の歴史ではなく、中国大陸という舞台の中 で、様々な民族が争ってきた歴史なのです。」(まえがき)

実に最初から思いもかけないことを教えられます。日本史はずーと 日本という1つの国の歴史です。ところが、中国史というのは、 実は中国大陸という舞台の中で、様々な民族が争ってきた歴史だと いうのです。

( 実は、中国という国は存在しないのだった )

これでは、高校世界史の教科書を読んでも、中国史が複雑以前の何 が何だか分からない歴史になるはずです。著者によると、「中国」 「中国人」「中国史」なるものは存在しないのです。しかし、 話が煩雑になるので、著者もそうしているように、従来通りの「中国」 「中国人」「中国史」をこのサイトでも使います。

著者百田尚樹によると、「中国史」の特徴は残酷ということです。 これは、様々な民族が争って興亡を繰返してきたということからき ます。勝った民族が負けた民族を大虐殺することの繰返しなのです。

現在進行中のチベット民族やウイグル民族への大弾圧、大虐殺も この歴史の流れの中にあります。

こうしたことを知ってか知らずか日本は中国にOEDと称して巨額の 金をやったのです。もしかしたらチベット民族やウイグル民族への 大弾圧、大虐殺に日本からのOEDの金が使われたかもしれないと 思うと日本人として罪悪感で胸が張り裂けそうです。

こうした他民族に対する大虐殺が習い性になって、自民族に対して も大虐殺が起きます。この大虐殺は、時代が下るにつれてひどくな ります。

( 文化大革命は大虐殺だった )

1966年に始まった文化大革命では、○千万人の犠牲者が出たと 言われます。統計などはありませんので、想像を絶する大虐殺が あったということ以上が分からないのです。

驚くべきことですが、当時、私が大学生であった頃、知識人の代表 を任じていた東大を始めとする大学教授達の多くがこの文化大革命 を素晴らしいこととして褒めたたえていたのです。

一体彼らの頭はどうなっていたのでしょうか。その後、誤りを認め て反省し謝罪した大学教授もいましたが、ごく少数であり、ほとん どの大学教授達は反省も謝罪もしませんでした。

この教授達はもともと何も考えていないのです。もともと考える力 が無いのです。A新聞の記事に流されていただけなのです。なんとも ひどいことです。

そもそも、このようなことは確かに残酷すぎて、高校教科書には、 ありのままには書きづらいと思われます。高校教科書である 「詳説世界史(再訂版)著作者東京大学名誉教授村川堅太郎他3名  1987年3月5日発行 山川出版社」では、「この文化大革命は、 劉少奇による経済復興政策を資本主義の復活と見なした毛沢東が、 軍の指導者林彪(りんぴょう)とむすんで劉妥当をはかったもので、 国家主席制は廃止され、中国共産党の一元化指導にあらためられ た。」(351頁)という記述だけです。

しかし、この記述だけでは、この文化大革命の巨大規模の残虐性が 到底伝わりません。「禁断の中国史 百田尚樹」は、この 文化大革命を次のように記述します。「〜全国各地で毛沢東の 指導する紅衛兵と呼ばれる少年少女が暴れまくりました。十代の 子供たちが大人や教師を人民裁判にかけて暴行を行い、また時には 処刑したり、まさにこの世の地獄とも思える状態が十年間も続いた のです。」(208頁)

  (次頁に続く)